2008年5月20日火曜日
2008年5月19日月曜日
マーケティング分析
調べてみたらやはり想像以上の統計手法がある。
ツールは5よく評価されている。
個人感覚の使いやすさ順(専門性の逆)
EXCEL
STATISTICA
SPSS
SAS
R
分析手法として平均(Mean,Avg)と標準偏差(Stdev)は普通だが、まだまだ足りなさそうだ。
BoxPlot図は平均と偏差を合わせて示せるから良く使われているようだ。
まだまだ勉強が必要のようだ。。。
Rの詳細
http://aoki2.si.gunma-u.ac.jp/R/
2008年5月18日日曜日
ハーバードビジネススクール教材リンク
http://www.bookpark.ne.jp/harvard/
特に有名なケース・メソッドはたくさんあるようだ。最初2ページ立ち読みも可能。
2008年5月17日土曜日
2008年5月15日木曜日
中国大地震の救援金受付について
http://www.jrc.or.jp/sanka/help/news/1394.html
2008/05/13
日本赤十字社は、5月12日に発生した中国四川省の地震については、多数の被災者が発生しており、国際赤十字と連携して積極的に被災者の救援を行うこととしています。
このたび、本災害の被災者に対する救援金の受付について以下のとおり実施いたします。
1.救援金名称 「中国大地震救援金」
2.募集期間
平成20年5月14日(水)から平成20年6月10日(火)までの約1カ月間
3.救援金受付口座
●郵便振替口座のご案内
・口座番号 「00110-2-5606」
・加入者名 日本赤十字社
・通信欄に「中国大地震」と明記して下さい。
※受領証の発行を希望の場合は、その旨を通信欄に記載して下さい。
※郵便局窓口での取扱いの場合、振替手数料は免除されます。
2008年5月13日火曜日
Fw 標準化への大いなる一歩
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0512&f=column_0512_005.shtml
2008/05/12(月) 14:41:01更新
中国営業最前線(5)
ITによる営業改革を進めるにあたって、前回の情報共有のほかに標準化、データ化という概念が重要になる。今回は標準化について考えてみたい。
中国でトイレに入ると、「向前一小歩、文明一大歩(一歩前へ出れば、文明への大きな一歩)」という標語を時々見かける。なんとも大げさな、と思いながら、ついつい一歩歩み寄り、用をたす。用をたしながらつらつら考えてみると、実はこれは、標準化のすばらしい実例だと思う。標準化とは、「どんな環境でも、誰でも理解ができ、無理なく実行でき、確実に成果をあげる仕組み」である。この標語は、どこのトイレでも、子供でも理解でき、大げさな、と思いながらも1歩前に出させて、目標に対して確実に綺麗な成果をあげている。
中国で急成長を遂げる家電量販チェーン店の蘇寧。段伝敏著「蘇寧、連鎖的力量」の中で標準化についてこのような文章がある。『蘇寧における管理の標準化は、定められたプロセスにより実現される。プロセスとはなにか?蘇寧は明確に系統的に定義している。それは、企業におけるどのような仕事も以下の5大要素を明確にすることが求められる。
1.事項(仕事内容の明確化) 2.工程(完成までの段階の管理)、3.標準(具体的作業の標準化)、4.方法(仕事の手段と方法)、5.責任者(作業者と最終責任の明確化)。それぞれの作業指示書と業務表により、誰でもこのプロセスに従い、最終的に均一な結果を出すことができる。傍から見ると蘇寧のチェーン展開のスピードは不可思議または狂気のように見えるが、そのカギとなるのは、背景の“見えざる蘇寧”であり、それなくして蘇寧の発展はない』
中国においても組織として成長するためには、「標準化」の概念が重要であるという認識は浸透しているようだ。では、中国での営業活動においてはどうであろうか?
ある商社では、「自分の人脈で仕事が取れた」という営業マンが未だにいると総経理は嘆く。たった一度食事しただけでも、“自分の人脈”という営業マンさえいるが、この業界は既にコネクションだけで仕事が取れる時代ではなくなっていると彼は指摘する。中国においても標準化とは程遠い、日本の属人的な営業スタイルを堅持する営業マンは少なくない。
そこで、システムで標準的な営業プロセスとやるべき内容を設定することにより、ある水準の営業レベルにすることが可能になるのだが、システムを入れなければ営業プロセスの標準化ができない訳ではない。ある広告会社では、営業プロセスを標準化し、報告内容も可能な限り選択式にしたEXCELフォーマットの日報を半年間運用していた。それにより営業マンの動きが劇的に変わったという。
その後、さらなるデータ分析やリアルタイム性を求めて弊社のソフトを導入された。日報すら書いていない企業には、まず日報の習慣化を。日報を書いている会社には営業プロセスの標準化を。営業プロセスが標準化されている会社にはシステム化をお勧めする。偉大なる営業改革も、小さな一歩から始まることを感じる今日この頃である。
筆者:宮原武史(みやはらたけし) 、軟脳軟件北京有限公司董事・上海分公司総経理
提供:ウェネバービジネス
Fw 情報共有という名の功罪
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0509&f=column_0509_002.shtml
2008/05/09(金) 13:43:34更新
中国営業最前線(4)
“中国で何十年振りの大雪により、広州駅には30万人の帰省客が足止めに”翌日には日本の友人知人から、上海は大丈夫かとの連絡がいくつかあった。中国の“情報”が日本にも正確に伝わる今、安心してビジネスを行うことができる。
“情報”が価値を持つ現在、組織を強化する上で、その活用をITで担うことが多くなった。組織営業力の強化を考える場合も、“情報共有”というキーワードは真っ先にあげられる。例えば、日本で、SFA(営業支援ソフト)の導入予定企業の導入目的は、『情報の共有と有効活用77%、営業の行動管理67%、顧客(商談)管理67%』となっている。(データ出所:リクルートキーマンズネット『SFAの導入に関するアンケート』)
そこで、日本ではITベンダーは迷うことなく、情報共有が進んでいない企業に対して、情報の共有化を叫ぶ。中国ではどうであろうか。中国に長く駐在する経営層に、“情報共有”という殺し文句は通用しない。弊社の営業支援システムの導入が決まった企業の叩き上げの営業マンが真顔でいう。「このシステムで情報共有するなら、自分は正しい情報を絶対入れませんよ。他の営業マンに邪魔されるかもしれないので」。
実際、営業マンのスケジュールを共有した企業で、「情報が漏れているのか、営業マンが訪問した翌日に、競合他社がそのお客さんを訪問していることが頻発しているようだ」という話をいくつか耳にした。
単なる情報共有は、現時点で、中国では功より罪が大きいかもしれない。しかし、情報を共有しなければ、いつまでたっても、個人営業を脱することはできない。人材の流動が激しい中国では、情報が個人に帰属している限り、組織として脆弱であるといわざるをえない。
では、どうすればよいのか?誰とどの情報を共有するのか、権限を設定することである。現場の営業マンが、安心して正しい情報を登録できる仕組みを作ることである。我々ITベンダーは機能や運用により、それを実現しなければならない。決して、グローバルスタンダードや“情報共有”という名の下に、現場のニーズを無視するという罪を犯してはならない。
ただ、「直属のマネージャにも持ち案件を見せたくない」という話しも出たりする。それは、ITというより人事配置を再検討してもらったほうがいい。
筆者:宮原武史(みやはらたけし) 、軟脳軟件北京有限公司董事・上海分公司総経理
提供:ウェネバービジネス
Fw ソフトウェア業界はもっと汗をかくべき
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0508&f=column_0508_004.shtml
2008/05/08(木) 14:13:29更新
写真:大 / 写真特集
中国営業最前線(3)
「ITはどうも分かりにくい。」とおっしゃる日系企業経営層の方は多い。今回は、企業におけるIT化を概観し、我々ITベンダーのミッションを共有したい。
企業における業務システムは色々な分け方があるが、ここでは基幹系、情報系、戦略系の3つのカテゴリで考えてみる。基幹系は、その企業の業務内容と直接に関わる生産や在庫管理、財務などを扱う。近年はそれらを統合したERPパッケージソフトが注目されている。情報系とは、グループウェアや掲示板などの社内における情報共有ツール。戦略系とは、顧客管理、マーケティング、営業プロセスなどを対象とするCRM(顧客関係管理)やSFA(営業支援)がそれにあたる。
ITによる組織営業強化を考える場合、情報系、戦略系の領域をカバーし、最終的には基幹系システムとの情報連携が求められる。
日本の大手企業においては既にIT化は一巡した感があり、どのITベンダーも中堅中小企業向けに製品をラインナップしつつある。「2007年版中堅中小企業のITアプリケーション利用実態と評価レポート」(ノークリサーチ)によると、『年商300億~500億円の中堅企業において、ERP、グループウェア、SFA、CRM導入率は、それぞれ35%、87%、19%、10%』『今後の利用意向としての関心度は、それぞれ25%、2%、37%、35%』とあり、戦略系に関心が高まっている。
現在、日本では内部統制やJ-SOX法への対応のため、“守りのIT投資”である基幹系システムの見直しが必要である。しかし、それだけでは業績を上げることはできない。戦略系への関心度の高さは、それを物語っている。
一方、中国では、北京賽迪伝媒投資公司のレポートによると、2006年時点で、『中国の大手企業のうち財務システムの情報化が完了した企業は93%、事務処理システムのOA化が完了した企業は71%、ERPシステムを導入した企業は51%』とある。既に中国の大手企業は、日本の中堅企業よりも基幹系のIT化が進んでいることがうかがえる。そして、日本の状況と同じように、必然的に基幹系の次は、“攻めのIT投資”に関心が移ってくるであろう。
また、中国IT事情に詳しい日興アントファクトリー社の肖宇生氏は自身のコラムにおいて、中国のERP業界についてこういっている。
『これまで中国ERP業界では、大手ユーザー企業を巡ってSAP、オラクルなどをはじめとした国際メジャーと「用友」「金蝶」に代表される中国系企業が熾烈な競争を繰り広げてきた。ところがここにきて、大手企業のIT投資が一巡したことをきっかけに新しい動きが鮮明になってきた』『いままでの「売り切り型」モデルから「保守・運用型」への転向が成功するか。ユーザー企業のパートナーになるという意識改革を徹底し、地道にユーザー志向の継続的なサポート体制を維持できるかが鍵を握るだろう』
戦略系システムでも同様であろう。いや、基幹系以上に、ユーザー志向が必要である。基幹系であれば、嫌でも使わざるを得ない状況になる。しかし、「情報系、戦略系は、使わなくても業務が回る」となってしまえば終わりだ。また、複数の部門が絡み合い、複雑な業務を遂行する昨今、パッケージソフトを渡しただけで使いこなせる企業は少ない。“戦略系”のITベンダーは、各企業の特性を把握し、システムを最適化し、かつ現場の一人一人までシステムを定着させ、その人にとって無くてはならない“基幹系”になるまで、ユーザーと共に知恵を出し、汗をかく必要がある。
日本、中国共に弊社ソフトブレーンのお客様であるセコム株式会社。セコム様から学ぶことは多い。木村会長は言う。『ソフトウェア業界はもっと汗をかかんといかん』。すばらしい文章なので、皆さんとシェアしたい。写真は中国のシリコンバレーと称される北京市中関村。
筆者:宮原武史(みやはらたけし) 、軟脳軟件北京有限公司董事・上海分公司総経理
提供:ウェネバービジネス
Fw 衣食足りてサービスを知る
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0507&f=column_0507_004.shtml
2008/05/07(水) 16:17:20更新
中国営業最前線(2)
中国は新正月の休みが短い。新正月より旧正月の方が賑わいをみせる。上海で過ごす初めての年越し。静かな正月を迎え、古刹龍華寺に初詣に行った。思いのほか参拝者が多く、チケットを買うために5分ほど並んで境内に入った。次の刹那、我が目を疑った。更に長蛇の参拝者の列が文字通り幾重にも蛇行して、誰の誘導もなく理路整然と続いている・・・。
私は上海以外の地方都市の駐在経験が長かった。どの都市でも列を作ることが苦手のようで、我先に割り込んでくる人込みをガードしながら、自分の番をキープする術を学ぶことが生きていくためには必要であった。古人の言葉が蘇る。“衣食足りて礼節を知る”
「日系企業アンケート調査・集計・分析」(国際協力銀行2007年3月)によると、売り上げにおいては、『日系企業の平均成長率は11%。その詳細を見ると、製造業12.7%(内輸出型18.2%、内販型8.6%)、非製造業3.7%』。収益においては、『2003年と2005年を比較すると、非製造業において9%以上高収益は約50%から約20%に減少。内販型においても、約40%から20%に減少』という統計がある。つまり、中国国内で販売を進める日系企業の多くが、増収減益の構造に陥っていることが分かる。
先日、上海「組織営業強化セミナー」で共催したトーマツコンサルティングは、日系企業の増収減益の原因について、3つの観点でこう分析する。
1.競争の激化(Competitor)
市場拡大を上回るペースでの新規参入が相次ぎ、同業者間の競争が激化。中国全域に販売・営業を展開する際に、国産品(類似品を含め)との価格・販売ルートにおける競争が激化。
2.顧客ニーズの高度化(Customer)
同業者増加によって顧客に与えられる選択肢が増え、選択範囲も広くなった。市場発展、経済成長に伴って、顧客のニーズも基礎機能への訴求から「機能+アルファ」に高度化していく。
3.実績より高い期待値(Company)
一部日系企業は、売り上げは増加しているものの、計画が達成できていない。
一般的に日系企業は、コンプライアンス遵守などにより、どのようにコスト削減してもローカル企業に対して価格面では勝負できない。高品質、高サービスにより顧客満足度を上げ、高価格を維持し、顧客ニーズの高度化による購買層の増加を待つことが、多くの日系企業の戦略であろう。そして、このような状況の中、日系企業でITによる組織営業強化に関心が高まっている。
ITによる組織営業強化、それは、「顧客満足度を上げるための組織による営業サービスの向上」ともいえる。現場から顧客ニーズを吸い上げ、必要な顧客に、必要な時に、必要な商品やサービスを、安定、柔軟に提供できる仕組みの構築である。日本では作っても売れない時代、バブルが弾けた後になってITによる組織営業を目指す企業が急激に増加した。作れば売れる時代には不要であった。中国でも同様であろう。
いにしえの賢者が今の世を見たなら、きっと「衣食足りてサービスを知る」と言うであろう。長蛇の列を眺めながら、繰り返す新しき時代のうねりを感じずにはいれなかった。
筆者:宮原武史(みやはらたけし) 、軟脳軟件北京有限公司董事・上海分公司総経理
提供:ウェネバービジネス
FwITによる組織営業力の強化
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2008&d=0506&f=column_0506_003.shtml
2008/05/06(火) 14:08:03更新
中国営業最前線(1)
中国で営業をしている日系企業にとって、組織を愛し、顧客のために現場の情報を経営トップに報告してくれる、自発的な行動で下から営業改革を立案・実行し業績を上げてくれる、そんな夢のような営業マンがいてくれたらと思うことは多いだろう。
サーチナ総合研究所調べ(中国全土2000人に調査)によると、「仕事に不満がなくても転職や独立をしたいか」との質問に対して、「賛成が63.9%、賛成しない人が15%未満」という結果がでている。就任したばかりの建材メーカーの総経理は「今までのデータを見ると2年で全ての営業マンは入れ替わっている。話しには聞いていたが、営業マンが辞めれば一から教育しなければならない。本社からは売上倍増を言われ、大変だ」ともらす。
現地企業向け営業を推進するベテラン日本人営業部長に聞けば、「営業マンはどこでなにやっているかは分からないが、基本的に売上しか見ないので問題はない。競合他社に情報を流している営業マンもいるようだが、売上を上げなければ自然に淘汰されるため、そういう営業マンはいつかいなくなる」という割り切った管理をしている日系企業もある。
弊社ソフトブレーン上海は、ITによる組織営業力強化のコンサルティングサービスを提供している。弊社の営業支援システムの導入が決まった企業の叩き上げの営業マンが真顔で「このシステムで情報共有するなら、自分は正しい情報を絶対入れない。他の営業マンに邪魔される恐れがあるからだ」と言う。日本ではあまりないが、中国では営業マンが在職中に転職活動をして、契約が切れた翌日から競合他社に勤務する“事件”も日常茶飯事である。
しかし、こんな状態を放置したまま、トップ営業マンが突然辞める“事件”が起きれば、既存顧客や商談中の顧客に迷惑を掛けるばかりか、将来の大切な見込み客まで競合他社に、トップ営業マンの転職と共に流れていってしまう。幸か不幸か、売上しか見ていなければ、競合他社に奪われている“現場”すら、知ることができないかもしれない。
弊社システムを導入した企業の責任者の方が、「営業マンがこのシステムを利用することにより、現場の情報を組織に吸い上げると共に、属人的営業に対する意識を変えさせる。自発的・組織的になった意識により、さらにシステムを進化させ、そこに蓄積された情報を分析し、顧客の行動特性を把握し、各顧客が必要とする営業活動を実践すること」と導入目的を語った。
このコラムでは、中国の営業現場を奔走しながら、ITによる組織営業強化の可能性について、読者と共に考えていきたい。
筆者:宮原武史(みやはらたけし) 、軟脳軟件北京有限公司董事・上海分公司総経理
提供:ウェネバービジネス
2008年5月8日木曜日
「伝える技術~報告書・レポートの効果的なまとめ方~」の感想
http://winxwincollabo.livedoor.biz/archives/50342797.html
この前勉強会のTJMさんとFKBYSさんの説明と同様にビジネス上の「起承転結」が
ビジネスでスピード感を強調して、下記のようになる。
日報・週報・月報・会議報告書・企画書・稟議書・提案書…のため
■報告書タイトル
■結論・・・・・・・・・タイトルの件について結論がどうなったか
■理由(原因)・・・・・なぜその結論に至ったか
■内容(経過説明)・・・結論を出すまでの具体的な経過(状況)
■意見・・・・・・・・・個人的見解等
詳細は
これは文章を書く上で最も大切な「起承転結」のモデルといわれているものです。この「起承転結」を踏まえた文章作法は、手紙文やエッセイ、コラム文などでは味があって最適ですが、報告書やレポートの書き方としては不向きです。
スピードが命のビジネス文書の中でも、とりわけ報告書やレポートは「結論」が先に求められるからです。忙しい上司は結論を早く知りたいのです。名文である必要はありません。それよりも「結」を先に記し、「起承転」の順で簡潔明瞭にまとめることが大切です。
≪すぐに使える報告書・レポートの書き方 PHP研究所≫
また、「起承転結」の例は結構面白い。日本では有名なのかなぁ
京の三条糸屋の娘
姉は二十で妹は十九
諸国大名は弓矢で殺す
糸屋の娘は目で殺す
2008年5月7日水曜日
レポート作成にて計画性を極める
結果として、自然にバランス取れなくなる。
今回PS3を分析してたとき、一生懸命資料を調査して、
因果関係を考えてたが、
プレゼンの作成は自然に遅れてしまう。
また、PS3のプレゼンを作成し確認してからても、
継続にプレゼンを読んだり、考えたりしてた。
これからは
・タイムラインを明確に決める
・理解、収集、分析、構成、作成、調整を余裕でラインを引く
と努力しなければならない。
また、この取り込みの結果を楽しみにしている。
タイムテーブル:
理解 0:15
収集 0:15
分析 1:00
構成 0:15
作成 2:00
調整 0:15
---- ----
合計 4:00
Fw 日本におけるゲーム機戦争
日本におけるゲーム機戦争
出典リンク: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
この文章は非常に分かりやすくゲーム機の争いを説明しました。Wikiの修正恐れがあるということで、ブログにコピーしておきます。
また、この文章のコピーライトはGNUのドキュメントライセンスに従います。
| このページは荒らしや編集合戦のため、方針に基づき編集保護されています。 現在の記述内容が正しいとは限りません。ノートで合意が形成されるなど、保護を解除できる状態になった場合、保護解除を依頼してください。 |
| この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、あるいは議論中です。 そのため偏った観点によって記事が構成されている可能性があります。詳しくはノートを参照してください。 |
日本におけるゲーム機戦争とは、日本国内におけるゲーム機の販売競争のことである。
目次[非表示] |
概要
日本におけるゲーム専用機のシェア競争の結末は、ほとんどの場合が一機種による独占である。ファミリーコンピュータの登場以後、シェアトップのゲーム機(以下、ハード)の売上げは常に2位以下のハードの数倍に達し、シェアの大半を占めている。
これは以下の理由による。
- ハードウェアが一定数以上普及すると、その販売機会の大きさに期待したサードパーティーの参入が促進される。これによって、消費者にとってはソフトの選択肢が増えることになる。その結果、ハードウェアを新規購入する消費者はより普及したハードウェアを選択するようになる。
- 一度、この好循環が形成されると、市場が飽和し衰退するまでこのサイクルは続く。逆に普及率で劣ったハードは、これと丁度逆のパターンで、負のスパイラルに突入することになる。
このような現象が生ずる理由は、経済学上、ネットワーク外部性という概念で説明されている。
また、ゲーム機ビジネスでは「シェアが低くても特定の顧客に地道に売り続ける」といったビジネスモデルは通用しづらい。他ハードには表現できないソフトの販売で利益を出したNINTENDO64のような例外はあるものの、ごく限られている。
近年では各ハードの差別化が進んだことで、複数のハードが共存できるのではないかとの指摘もある。一方で、ソフト開発費の高騰から、ソフトあたりの販売本数を増やす必要があり、市場規模の小さなシェア2位以下のハードはむしろ苦しい立場に追い込まれているとの見方もある。また極端な独占は日本特有の傾向で、北米市場ではシェアにおいて2位のハードも売上を伸ばした例がある。メガドライブ、NINTENDO64、Xbox等がそれに当たる。
ビジネスモデル
家庭用ゲーム機は、他者に対してアドバンテージを得るため、多くは原価割れで販売されている。そのため、シェアを獲得できないと、ハードウェアの赤字に耐えきれず、初期投資を償却するまでにベンダの事業が自壊してしまう。なぜ、このようなリスクの大きい賭けに出るかというと、市場に支配的なシェアを獲得できたときのリターンも大きいからである。
基本的に、ファミリーコンピュータ以降の家庭用ゲーム機のサードパーティは、ソフトの製造数に応じて、ハードウェアベンダーにライセンス料を支払っている。このため、ハードウェアベンダーは新製品の発売に際し、将来的なライセンス収入を考慮して収益性の見込みを立てる。例えば、ライセンス料をソフト1本につき1000円とし、ユーザーが平均6本以上ソフトを購入すると仮定すれば、5000円の原価割れで本体を製造販売しても最終的には利益が出ることになる。もっと俗な表現を使えば、初期投資の採算分岐点を1度越えれば、それ以降はサードパーティがソフトを製造する度に自動的に利益が入るようになる。この水準まで達すると、ハードウェア本体のコストダウンや更なる拡販に、さらに潤沢な予算を投下できるようになるため、自身の市場が飽和しきって衰退するまで、市場での優位性が絶対のものとなる。
ゆえに、各社は初年度の市場拡大を最優先する。つまりハードウェアの原価を極限まで安く、あるいは大幅に原価割れした価格に設定する。この原価には、広告宣伝費なども含むが、実際は、発売後1~2年程度はハードウェアそのものも原価割れしていることが多い。これが家庭用ゲーム機が発売時点のパソコン等と比較して価格性能比が極端に良好な理由である。
逆に、初期投資の原価償却水準までハードウェアが普及しなかった場合は、事業を閉鎖するまでの間、莫大な赤字を垂れ流し続けるということであり、加速度的な勢いで負債を抱え込むことになる。
たとえばXboxは、当初は1台あたり250ドルの原価割れだと言われていた。セガの家庭用ゲーム機事業撤退の遠因となったセガサターンやドリームキャストにおいては、それぞれのモデル末期でも本体1台につき5000円程度の赤字が出ていたと言われる。同時期の同社業務用ゲーム機事業は概ね黒字であり、家庭用ゲーム機事業が他部門の利益を完全に食いつぶす状態だった。家庭用ゲームソフトウェアの中にはヒット作もあったが、それ以上の割合でハードウェアの赤字が嵩んでいた。
ゲーム機業界においては、このビジネスモデルは任天堂が発祥であると言われることが多い。しかし、"まず損してでも市場に地歩を築いて、あとから得を取る"という手法そのものは、高度成長期に海外に進出した日本企業がよく選んだ戦略である。また、上位あるいは主力機種を売るために、それらと同じものを意図的にチープな仕様に改変し、下位機種として原価割れで売ることはあった。
日本国内のマスコミ媒体では、このライセンス料収入を前提としたビジネスモデルについて触れられることは殆んどない。
メーカー
現在の主なハードメーカーは、次の三社である。セガも長年、独自のハードを販売してきたが、ドリームキャストを最後にゲーム機事業から撤退した。
- 任天堂
- ゲーム&ウオッチ以前からゲーム業界に関わるメーカー。本来はカードゲームをはじめとする玩具・娯楽用機器の製造販売で、玩具の一種としてゲーム機ビジネスに参入した経緯がある。据え置き機市場では、ファミリーコンピュータ(FC)、スーパーファミコン(SFC)で圧倒的なトップシェアを維持し、1996年のNINTENDO64(N64)でトップシェアの座を奪われた後も、一定のシェアを獲得している。一方、携帯機市場ではゲームボーイ(GB)以降トップシェアを守り続けている。2007年8月現在、携帯機(ニンテンドーDS)、据え置き機(Wii)を合わせた市場ではトップシェアとなっている。
- ソフトメーカーとしても日本最大手で、自社の人気ソフトを原動力としてハードを普及させるというスタイルをとる。販売するゲーム機の特徴としては、スペックが他社製品に劣ることが多いものの、枯れた(開発されてから時間の経った)技術を上手に活用した設計、低コストで廉価、高い信頼性、新奇なユーザーインターフェイスなどが挙げられる。
- 任天堂ソフトが強く、サードパーティーの売り上げが小さいことが弱点として指摘されていたが、現在ニンテンドーDSではサードパーティソフトの占める割合が増加傾向にある[1]。
- ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)
- 1994年にプレイステーション(PS)によって据え置きゲーム機のトップシェアとなり、続くプレイステーション2(PS2)でもその状態を維持した。2007年8月現在はPS2とプレイステーション・ポータブル(PSP)、プレイステーション3(PS3)を主に販売している。
- 親会社がAV・音響機器で有名なソニーであることから、Blu-ray Disc再生機能などを付け加えることでハードの価値を高め、普及を促進する。ゲーム機の特徴としては、最新技術のふんだんな活用、総合AV機能、原価割れしているハードの赤字分をソフトの売り上げやハード自体のコストダウンによって補うビジネスモデルなどが挙げられる。一方で、ソフト面の売り上げがやや小さいこと、経営体力もMSや任天堂に比べて弱いことが問題点として挙げられる。
- マイクロソフト(MS)
- 2002年にXboxで参入し、現在はXbox 360を販売している。本業は世界最大のコンピュータソフト会社であり、圧倒的な経営体力を持つ。パソコン市場でのノウハウを活かし、パソコンとの連携やオンラインサービスを売りにしている。ハードの特徴は極めて良好なソフト開発環境を準備する所にあるとされ、映像的に優れたゲームを安いコストで開発できる事に関しては定評がある。一方、日本におけるゲーム機メーカーとしての知名度・ブランド力の低さ、日本の住環境と日本人の嗜好に合致しないハードの特性(騒音、大味なデザイン、高い故障率など)が指摘されている。
ゲームマニアに注目される理由
ゲーム機シェア競争の動向は、ゲームマニア、通称ゲーマーと呼ばれるユーザー層にとっても大きな関心事となることが多い。もしユーザーの購入したゲーム機が非トップシェア機になってしまうと、そのハード用のソフトをサードパーティーが開発しなくなるため、ソフトの数が少なくなり、新たにトップシェア機を購入する必要が生じる可能性が高いためである。特に有力サードパーティーのスクウェア・エニックスはトップシェア機と非トップシェア機への対応の違いが大きく、ファイナルファンタジーやドラゴンクエストといったビッグタイトルのファンが非トップシェア機を購入すると経済的に2重負担になるケースが多い。このためヘビーユーザーやファースト製のソフトのファン以外は、トップシェア機を購入したいと考え、次世代ハードが登場するたびにトップシェア機がどれになるのか注目するのである。
競争を左右する要素
ここでは指摘されているゲーム機の競争を左右する要素を挙げる。
- キラータイトル
- 人気ソフトの有無がゲーム機シェア競争に及ぼす影響は非常に大きい。これまでの例では、ファミリーコンピュータの『スーパーマリオブラザーズ』、プレイステーションの『ファイナルファンタジーVII』、ゲームボーイの『ポケットモンスター』、ニンテンドーDSの『脳トレ』シリーズ等が挙げられる。
- ドラゴンクエストとファイナルファンタジー
- 上記のキラータイトルの中でも、一番勝負の要を握るのが、スクウェア・エニックスが発売しているドラゴンクエストシリーズ(以下DQ)と、ファイナルファンタジーシリーズ(以下FF)である。どちらも、サードパーティー製では数少ない200万~300万本強の売上げを見込めるビッグタイトルであり、新作が発表される毎に、どのハードに提供するかが注目を集める。2006年末では、最新作『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』が携帯機のDSに移籍し、一般ニュースや新聞でも報じられるなど大きな話題となった。
- なお、手軽さを売りにするDQは最も売れているハードに主軸を据えることが多い。メインであるナンバリングタイトルはFC→SFC→PS→PS2→DSと歴代のトップシェア機を渡り歩き、スピンオフ作品も携帯ゲーム機のトップだった任天堂の機種が主である。2007年10月現在でも、発売予定も含めてDSとWiiで7本に対し、PSPやPS3、Xbox360で発売を予定しているタイトルは無い。対して、FFはVII以降、SCEハード(PSP登場前の携帯機はワンダースワンに注力)に主軸(ナンバリングタイトルなど)を置きつつ、任天堂ハードへの再参入以降はファイナルファンタジークリスタルクロニクルシリーズ等を投入する二正面作戦を展開している。
- マリオシリーズ、ポケットモンスターなどを抱える任天堂
- 最近ではDQやFFといったタイトルよりも任天堂が発売している作品の方がハードに対する影響は多いとされている。事実、FFやDQを超える400-500万の売上をこれらの作品は記録している。また、売上ランキング上位を任天堂の作品が大半を占めていることも大きい。
- トップシェア機の後継機
- 日本のゲーム機シェア競争において、前世代のトップシェア機の後継機ではないゲーム機が勝利した例は、2006年までの時点ではPSおよびWiiのみである。その他のSFC、PS2、ゲームボーイアドバンス(GBA)はいずれも前の世代のトップシェア機の後継機種である。DSはゲームボーイシリーズではないが、GBAの事実上の後継機種とみなされている。前の世代のプラスイメージを引き継ぐ事ができるため有利になると考えられている。
- 垂直立ち上げ
- 他機種よりも早く販売し普及できたゲーム機は、上記のネットワーク外部性の面で有利となる。一定の市場が形成されたハードにはサードパーティーも参入しやすくなるためである。発売一ヶ月で100万台を売り上げたPS2やWiiがその成功例として挙げられる。
- 一方、発売日が対抗機より大きく遅れたN64やゲームキューブ、発売は先行したものの生産面の問題で垂直立ち上げに失敗したドリームキャスト、同じく発売は先行したものの出荷台数(生産数)が確保できなかったPS3は失敗例と見なされる。
- 高性能は優位性に結びつかない
- ゲームボーイ、PS、PS2、DSといった代表的なトップシェア機の多くは、ほぼ同時期に発売されたライバル機種に比べ、性能的に優れていたわけではなく、操作性やキラータイトル、 あるいは付加価値を売りにトップシェアをとった。このように、ユーザーはハードの性能の良さよりも、発売されるソフトや、ゲーム機が持つ付加価値によってハードを選ぶケースが多い。近年はスペックよりも操作性に注力した任天堂の成功がブルー・オーシャン戦略として評価されている。
- 価格
- 家庭用ゲーム機には、手頃な販売価格が求められる。過去のトップシェア機のロンチ時の販売価格はそれぞれ、FC=14800円、SFC=25000円、PS=39800円、PS2=39800円、GB=12800円、GBA=9800円、DS=15000円となっている。PS・PS2の高価格が目立つが、両ハードは断続的に値下げを行い、同時期のライバル機種に比べて価格面でも互角か優位に立っていた。過去にも高性能を売りにする4万円から5万円を超える高額なハードも発売されたが、いずれも広く普及するには至らず短命で終わっている。現在のゲーム機シェア競争でもPS3の高価格に懸念が集まり、SCEは発売前に値下げを余儀なくされた。
据え置き型ゲーム機
1980年代初期~中期
1980年代初期には、国内外の玩具メーカー・電機メーカーがこぞって各社各様のゲームマシンを発売していた。
1983年、アーケードゲームメーカーだった任天堂がファミリーコンピュータ(ファミコン)を、同じくアーケードゲームメーカーのセガがSG-1000を発売した。ファミコンは、当時のアーケードゲームを再現するのに充分な能力と14800円という安価さで一気に市場を独占、翌年にはサードパーティーの参入を認め、多数の良質ソフトを生み出し、ファミコンブームを巻き起こした。セガも1985年、画面表示機能を大幅に向上させたセガ・マークIIIを発売するものの、ソフトメーカーがセガ1社では巻き返すことができなかった。この頃にゲームとプログラミングという新たな手法として8ビット統一規格パソコンのMSXも発売され、一定の市場を築くも、ファミコンの独占状態を崩すまでには至らなかった。
1980年代後期~1990年代初期
任天堂・セガの1強1弱状態に、1987年、参入したのがNECホームエレクトロニクスのPCエンジン。発売当初からナムコ等の有力サードパーティーがおり、開発元のハドソンの『R-TYPE』をキラータイトルとして用意するなど、主に中高生以上のゲーマー層に訴えかけた。1988年、セガはアーケードゲームの主流CPUだったMC68000搭載のメガドライブでこれに対抗。任天堂もスーパーファミコン(SFC)を発表するが、延期を重ね、実際の発売は1990年と3機種の中では最後発となった。
この3機のトップシェア争いでは、国内ではファミコンのブランドを活かした任天堂が他を大きく引き離し、2位にNECホームエレクトロニクス、3位にセガという結果に終わる。
1990年代中期 32ビットゲーム機シェア競争
1991年、任天堂はソニーと共同でSFC用CD-ROMの開発を開始、同時にソニーもCD-ROM一体型SFC互換機の発売を発表した。その名称は「プレイステーション」。しかし次第に両社の意見が合わなくなり共同開発は中止された。
1994年、ソニーの関連会社として発足したソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)は32ビット機であるプレイステーション(PS)を発売した。前述の任天堂との共同開発版と名称が同じだが、関連性は無い。ほぼ同時期にセガも32ビット機セガサターン(SS)を発売した。
PSとSSは共に32ビットCPUでCD-ROMドライブを持っていたが、PSは3Dに特化したハード構成で、SSは2D性能に秀でていた。PSはこの大容量と3D性能の高さを併せ持っていたことが評価され、『鉄拳』、『バイオハザード』などのヒット作が続々とリリースされた。また、SFCのカセットが当時10,000円前後と高価格化していた中、PSはソフトの価格を平均6000円で発売していたことも支持された。そして、1996年にスクウェア(当時)がFFシリーズ初の3DRPGである『ファイナルファンタジーVII』(FFVII)をプレイステーション用ソフトとして発売することを発表すると販売台数が飛躍的に伸びていき、セガサターンに大差をつけた。
PS、SSに遅れて約1年半、SFCで圧倒的シェアをもっていた任天堂が1996年に64ビット機(実質32ビット機)であるNINTENDO64(N64)を発売した。N64はPSやSSより高性能で、4人対戦が可能だったが、SFC同様に単価が高く容量の少ないロムカセットを採用したことから、有力ソフトメーカーの流出を食い止めることができず、最終的にPSがトップシェアとなった。
なお、これらに先行してパナソニック等からは3DOが発売、同時期にはバンダイ・デジタル・エンタテイメントからピピンアットマークが発売されたものの、ハードの価格が高いことや、ソフトのラインナップが魅力に乏しかったこと、性能がPSやSSに及ばなかったことから台数を伸ばすことが出来なかった。また、PCエンジンの流れを汲んだPC-FXは動画再生に特化した性能のため、当時のゲーム業界の流れだった3D化の流れから外れ、また「95年内に50万台以上普及させる」という目標も達成出来ず短命に終わった。
2000年代前期 セガ撤退、マイクロソフト参入
プレイステーションに対抗してセガは1998年にドリームキャスト(DC)を発売した。CD-ROMの2倍の容量をもつGD-ROMの採用や、業務用「NAOMI基板」とのリンク、そして家庭用ゲーム機としては初のモデムの標準搭載などをアピールし、更に湯川専務などのCMキャラクターも話題になった。
一方、2000年にSCEはプレイステーションの後継機であるプレイステーション2(PS2)を発売した。PS2は下位機種との互換性を持ち、CD-ROMの7倍の容量を持つDVD-ROMを採用。PSで獲得したユーザーをそのまま取り込み、発売と同時に大ヒットを記録した。DCはPS2に比べて機能が劣っていることや、DVDが使用出来ないこと、SSとの互換性が無いこと等があって売上が低下していった。そして2001年、セガはDCの販売を終了すると同時にハードウェア事業から撤退した。
同年、任天堂がN64の後継機であるニンテンドーゲームキューブ(GC)を発売。また2002年には、世界のソフトウェア最大手のマイクロソフトが日本のゲーム機市場に参入し、Xboxを発売した。これによって日本のゲーム機シェア競争は任天堂、SCE、マイクロソフトの三つ巴となった。
GCやXboxも性能的にはPS2を上回っており、開発もしやすかったものの、GCは「PS2より発売が遅すぎた」「DVD再生機能が無かった」「下位機種との互換性が無かった」こと、Xboxは「発売が遅かった」「ロンチタイトルが充実していなかった」ことなどが影響して、どちらも販売台数が伸びず、サードパーティの獲得に失敗した。結果、GCは日本においては一定の評価を得たが海外では伸び悩み、Xboxは逆に海外で健闘しているものの日本では低迷した。2003年頃には国内外ともにPS2がトップとなった。ただ、PS2がトップシェア機の時代は、「ソフトの大作化やPS2のソフト開発環境の問題からソフト開発費が高騰し、経営が苦しくなったサードパーティーの統廃合が進んだ」「プログラミング技術がPS2に完全特化され、結果的に次世代機・携帯機両方への適応が絶望的なまでに困難になってしまった」という批判も存在する。
なお、次世代機が既に出揃った今もPS2向きソフトが「据置機向けソフト」では圧倒的に多い状況である。これはPS2向けプログラミング技術が高度化し、以前と違って非常に安価にソフトを開発出来ること、次世代機のどの機種と比べてもPS2がずっと普及していること、制作費その他の問題からあえて次世代ハードを利用するまでもない(それほど映像的に高度ではない)ソフトが圧倒的に多い事等が理由として挙げられている。
2000年代中期 据え置き型ゲーム機市場の縮小
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PS2のソフト売り上げは2004年にピークに達するが、ニンテンドーDSの急激な普及もあって、2006年上半期には据え置き機のシェアは携帯型ゲーム機に逆転されてしまい、次世代据え置き機が出揃う前に携帯機のニンテンドーDSがゲーム市場の覇者となった。 2005年12月10日にマイクロソフトがXbox 360を、2006年11月11日にSCEがプレイステーション3(以下、PS3)を、2006年12月2日に任天堂がWiiを発売。結果、トップに立ったのはWiiであり、その他ハードを引き離す形となっている。しかし、現在の日本ゲーム市場は、ニンテンドーDSがシェア全体の7割超を占めた上(更に2007年9月30日時点で国内累計販売数第1位を達成)、PSPも新型投入で盛り返しているため、ゲーム機全体における据え置き機のシェア低下は止まっていない。
Xbox 360
価格は、通常版が39,795円、HDDなどを除いた廉価版「Xbox 360 コアシステム」が29,800円、上位モデルの「Xbox 360 エリート」が47,800円である。Xbox Liveによるオンラインが好評であり、Windows Vistaとの連携も可能。エミュレーターソフトをHDDにインストールすれば、Xboxのソフトもプレイ可能である。ハイビジョン対応。前世代と異なり、3機種では一番早い発売となったため、北米市場では先行の利を生かしてリードしているものの、日本国内では非常に苦戦しており、ヘビーユーザーには一定の評価を得ているものの、ライトユーザーへの訴求力が今後の課題とされている。2007年9月現在の日本国内での累計販売台数は約44万台(エンターブレイン調べ)。
プレイステーション3
価格は、HDD 40GBモデルが39,980円、HDD 20GBモデルが44,980円、HDD 60GBモデルは54,980円である。当初2006年3月発売予定だったが、後に延期された。PSPとの連動も可能であり、ゲームアーカイブスにより、PS用ソフトを有償ダウンロードし、PS3本体やPSPでプレイすることもできる。発売前はカタログスペックの高さ、PSやPS2との互換性(40GBはPS2互換機能なし)、Blu-ray Discの再生機能、ハイビジョン対応などから次世代ゲーム機の本命とされた。しかし、2006年のE3以降は高価格、ソフト制作の困難さゆえに苦戦するとの見方も強まっていった。初回出荷量は量産体制が整わず、8万台と限られたために即完売、しばらくは入手困難だったが、1月あまりで品不足は解消された。品薄が解消された後も販売台数が伸び悩んでいる。2007年9月現在の日本国内での累計販売台数は約117万台(エンターブレイン調べ)。ソフトウェア面では、当初PS3で発売予定だった『モンスターハンター3』がWiiに方向転換するなどハードを牽引する有力タイトルが不足しており、『ファイナルファンタジーXIII』や『メタルギアソリッド4』などの有力タイトル投入までに何らかの打開策が求められている。また、ソニーにとって開発費が重荷になっておりゲーム事業部門は大幅な赤字部門になっており金融部門の株式上場益をあってても債務解消に至らない額であり、外国人株主が多い現状では財務および事業の見直しを提示されない場合、ゲーム事業の売却か撤退する圧力が現実味を帯びておりアナリストからはXデーがささやかれる始末である。
Wii
価格は、過去の任天堂製据え置き機と同じ25,000円。ヒット商品となったDSと同様に特殊なインターフェイス(Wiiリモコン)を搭載しているため、発売前から期待が高まっていた。今回も発売がSCEの後に続く形となったが、1年半も遅れを取ったN64やGCとは異なり、PS3発売から1ヶ月も経たないうちの発売となった。GC用のメモリーカード、コントローラがあれば、GCのソフトの全てが使用可能。また、バーチャルコンソールシステムにより、FC、SFC、N64、MD、PCE、MSX、NEOGEOのソフトを有償ダウンロードしてプレイすることもできる。他にもニンテンドーDSとの無線通信によって、連動プレイや体験版のダウンロードも可能になる。初回出荷量の40万台弱は即完売。2007年9月現在の日本国内での累計販売台数は約349万台(エンターブレイン調べ)。夏過ぎから販売台数が鈍化しているため、年末商戦に真価が問われている。
携帯型ゲーム機
1990年前後 ゲームボーイの発売
1989年に任天堂が携帯型ゲーム機のゲームボーイを発売した。対抗して、1990年にセガがゲームギア、日本電気ホームエレクトロニクスがPCエンジンGTで参入した。
ゲームボーイは『テトリス』などの記録的ヒットなどに支えられ、携帯ゲーム市場でトップに立った。ゲームギアはゲームボーイのような人気コンテンツを提供できず、またカラー液晶採用による消費電力の大きさが問題となり、GBに大きく水をあけられ短命に終わった。PCエンジンGTは据え置き機のPCエンジンと互換性があるほか、当時としては高性能なカラー液晶を使用していたが、その分高価で電池の消耗も速く短命に終わった。1990年代初頭は液晶・バッテリーとも技術的に未成熟であり、カラー液晶は多数の乾電池を短時間で消費するなど実用的でなかった。当時の技術ではモノクロ液晶を採用したGBが最も現実的な設計だったと言える。
1990年代中期 携帯型ゲーム機市場の縮小と復活
1994年に登場したプレイステーションやセガサターンは、メディアにCD-ROMを採用したことでROMカートリッジに比べてソフトの価格を大きく下げることに成功した。それによって携帯型ゲーム機用のソフトは据え置き型ゲーム機用ソフトに比べて割高に感じられるようになり、売れ行きが悪化し、市場は縮小していった。ゲームギアはこの時期に販売を終了し、ゲームボーイも新作ソフトが月に数本程度しか出ない状況が続いた。
だが、1996年にゲームボーイ用ソフト『ポケットモンスター 赤・緑』が登場。携帯ゲーム機ならではの特性を活かしたこのソフトは世界規模で大ヒットを記録した。それに支えられる形で携帯ゲーム機市場は再活性化された。
1990年代後期 ゲームボーイカラーの発売
1998年に任天堂がゲームボーイカラーを、SNKがネオジオポケットを発売、1999年にバンダイがワンダースワンを発売した。ネオジオポケットは他機種を上回る処理性能を持った。ワンダースワンは軽量さと安さをセールスポイントとし、『ファイナルファンタジー』のリメイクを発売した。
ゲームボーイカラーでは、1999年にポケモンシリーズ第2弾、『ポケットモンスター 金・銀』が発売され、大ヒットを記録した。この時期のヒットタイトルには、エニックス(現スクウェア・エニックス)の『ドラゴンクエストモンスターズ テリーのワンダーランド』、コナミの『遊☆戯☆王』シリーズがある。ネオジオポケットとワンダースワンは共にカラー版を発売したが、ソフトのヒットが続くゲームボーイの独占状態を崩すには至らなかった。
2000年代初期 携帯ゲーム機市場の任天堂の独占
任天堂は2001年にゲームボーイアドバンス(GBA)を、2003年にその改良型のゲームボーイアドバンスSPを発売した。ワンダースワンの後継機種であるスワンクリスタルも登場したがGBAには対抗できず、ネオジオポケットと共に携帯ゲーム市場より撤退した。
この結果携帯ゲーム機市場からGBAの対抗機種が全て消え、任天堂が完全に市場を独占した。しかしGBAは『ポケモン』シリーズと、『ファミコンミニ・スーパーマリオブラザーズ』(再販含む)以外にミリオンタイトルがなく、前世代機のGBや後継機のDSに比べ市場が多少低迷していた感があった。任天堂の市場の独占はSCEがPSPを発売する2004年まで続いた。この時期のヒットタイトルとしてはカプコンの『ロックマンエグゼ』シリーズがある。
ちょうど、ネットワーク技術がほぼ確立されてきたことや、個人所有のパソコンの増加とそれらの性能の向上もあり、GBAは瞬く間にハッカーによって解析され、この頃からマジコンと呼ばれる機器やエミュレーターなどのグレーゾーンでの話題も増えることになる。
この世代以降、携帯ゲーム機も32ビット以上の高い性能と緻密なカラー液晶を備えたものが主流となった。ハード的な制約による携帯機で出来なかった事柄が減り、SFC時代の過去のハードのリメイク作品などが数多く発売された。また、携帯音楽プレーヤーとして使用するプレイやんのようなゲーム機にとどまらない周辺機器も公式に発売されたものとしては初登場した。これらの試みは現在のDS、PSPへと続いている。
2000年代中期 携帯型ゲーム機市場の拡大
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2004年12月2日に任天堂がニンテンドーDS(DS)を、同年12月12日にSCEがプレイステーション・ポータブル(PSP)を発売し、携帯ゲーム機市場においても任天堂とSCEとのシェア競争が起こった。どちらの機種もカラー液晶や無線LANを搭載しており、携帯ゲーム機におけるライバルと言われた。
PSPは以前のライバル機以上に健闘し、ある程度のシェアを獲得した。しかし、ニンテンドーDSは、『Touch! Generations』シリーズなどにより、それまでゲームに興味を持たなかった層へのアピールや、従来型ゲームに飽きていた層の回帰に成功し、これまでにない成功を収めた。これにより携帯型ゲーム機市場そのものが拡大し、ゲーム機市場全体においては逆に、任天堂がSCEからシェアを大きく奪回する結果となった。高スペックを武器に従来の携帯ゲーム機市場を切り崩そうとしたPSPに対し、2画面、タッチスクリーンによる新しい操作性で市場を開拓したDSという方向性の違いが結果に表れた。
この頃になると、それまで据置機での製作が中心だったサードパーティが携帯機向けのゲーム開発へシフトする様も多々見られた。これは、DSの爆発的ヒットのほかにも、携帯電話の爆発的な普及に伴うそれらのアプリ開発なども関係していると思われる。
2005年9月14日にはGBAの新型であるゲームボーイミクロが発売されたが、DSの爆発的な普及時期と重なってしまい、短命に終わった。
ニンテンドーDS
2005年春より『Touch! Generations』シリーズが投入され、徐々に社会現象とも言うべき大ブームに発展し、2005年末からは深刻な品不足が発生するまでになった。2006年3月2日に上位機種ニンテンドーDS Liteの発売がされたこと、『ポケットモンスター』等に代表されるミリオンソフトが多く登場したことで、品薄は長期化の様相を見せ、2006年度内は品薄が解消されることはなかった。2006年7月、発売20ヵ月という日本ゲーム機市場最速の記録で1000万台突破。2007年2月には1500万台を突破し(メディアクリエイトの調査より)、更に9月には国内累計販売数1位の座をファミコンから奪取した。現在ではPSPだけでなく据え置き機をも抑えて、ゲーム市場の中心的存在となっている。
当初はミリオンソフトのほとんどが任天堂発売のゲームだったが、DS市場の拡大に伴い、サードパーティ製のヒット作品も増えつつある。
プレイステーション・ポータブル
2005年第1四半期にはDSの売れ行きを上回ったものの、それ以降は徐々に差をつけられていった。とはいえ、2007年には国内販売台数500万台を突破(メディアクリエイトの調査より)し、プレステ世代を中心としたユーザー獲得は一定の成功を収めている。一方でメディアプレイヤーやGPSモジュール、カスタムファームウェアなどPSPをモバイル機器として愛用するユーザーも少なくないため、ソフトウェアの市場規模はハードのシェアの割りには大きくない。
PS2に匹敵する三次元グラフィック性能でDSとの差別化を計った反面、発売当初はPSからの移植作品が多く、PS2ソフトのラインナップとの差別化がおこりにくかった。その後、無線LANによるネットワークを活用したPSPならではのソフトといえる『モンスターハンターポータブル2nd』がヒットしたが、据え置き機並の製作費や携帯機用のアイデアが必要なことなどから後に続くソフトが少なく、DSを脅かすまでには至っていない。
2007年9月20日には、軽量化を図りワンセグやテレビ画面への出力などに対応したモデルチェンジ版であるPSP-2000を発売した。
関連項目
2008年5月6日火曜日
勉強ツールサイト構成
とりあえず思いついた要素を公開する。
どのように一体化するのが難しいが美味しいところだと思う。
Wikidot
GoogleGroup
GoogleApps
GoogleDocs
GoogleCalendar
PicasaWeb?
MindMap
ゴールデンウィークの自省
- ビジネススクールに通うことについて
また、授業では先生の言うこと何でもメモしておきたい。たくさんメモしたけど、重要なことがわからない。しかも宿題ははっきりしてない。相当やばかった。幸い先生はGWでしっかりレポートを書くことを許してくれた。GWにしても重い!
ひたすら書くしかない。これから、計画性を極めなくちゃ。
- ゴールデンウィーク
最近良く思う言葉は「生命にとって、耐えない重さは普通だが、耐えない軽さもある」。今のリラックス生活はひとつのいい例ではないか。楽しいけど、どうやらちょっともったいない気がする。。。
- PS3売れ行き分析の感想
ただ、問題はここにある!色々と事実、感想、推測、評論は何も考えずに頭に入ってた。引き出すときも、何も考えずに出せるが、ばらばらだ。結局皆さんに説明のときに、どちらを主張したいかが分からない、どちらを信頼していいのかがわからない。
ここまま自分の思考がなければ雑学にはなるが、知恵にはならない。ネット上で情報を調べたところ、やはりマニアは多数いるが、根拠を明確しているのがほとんどいない。
- 脳のSP
昨日の番組では、脳仕組みの角度から、なぜ人が暗記、集中、成長などできるかを説明してくれた。非常に説得力がある。
これからは科学的な使い方+努力でこの難しい勉強を解けたいと思う。
- 男女にとってゲーム楽しさ
YMLさんからモンスターハンターの売れる原因はサッカーに同様、人の狩り本能ではないかという面白い意見を聞いた。
そして、僕はYMLさんにビジネススクールでやってるPS3の分析を少し説明したところ、やはり同感してくれた。YMLさんは読んだ記事を紹介してくれた。
男女に同じゲームさせて、脳の状態を測定する。結果として、「獲得量の多い」「領土が広い」ことで、男の脳に快感物質が女に比べてはるかに多く分泌されてる。だから、男はゲームにはまる。そして、僕は女と子供の脳に何にはまるだろう。「服」「食べ物」「おもっちゃん」だろうか。
もうちょっと広げて、DSは最初売れ行くが良かったが、今の売れ行くは微妙になってる。この効果の働きだろうか。これから、DSとWiiを獲得した新たなユーザ層をロイヤル顧客するために、どのように戦うべきかは面白い。今いえるのは、最大の敵はもうPS3、PSPではなくて、スタイルショップ、料理店、旅行社になったではないか。
一方、ソニーがこの拡大されて、満足度が満たされてないユーザ層にどのようにプロモーションして、ロイヤルゲームユーザに変えるのが非常に大きいな課題と思う。
世界がますます楽しくなる。
プロフェッショナル仕事の流儀 茂木健一郎の脳活用術スペシャル
http://ddaisuke.seesaa.net/article/95240424.html
- 鶴の恩返し法暗記法
・暗記で書くとき原本見ないこと
・感情で声を出したり動いたりする
- 集中法
・何かのアクション短時間でやる
・脳に条件つける反射させる
・プリンターで見る、トイレでスケジュールを練る
・毎日歩んでる道で考えるのが一番いい
・自然にやればいい(無理にイベントをとめないこと)
- 成長させるため-褒めのアスリート
・ちかるときはどうすればいいと具体的に教える→できたらすぐ褒める
・褒めるとき相手を注目してる
・いいことを見つける
例:いうこと聞かない子→君はずいぶん偉いね。
- Q&A 1
人の脳にたくさんのモード
環境・動作でリラックスにスイッチ
例:お風呂、かばんを投げる、犬と遊ぶ
- Q&A 1
部下にビジョン、信念について強く信じるように見せる
自分が疑いでもその面を見せない
人はバランスをとろうとしているから、周りに強い主張があれば信じてしまう
また、確実のところだけで信じてしまうので、少し確実なところだけがあれば信頼される
- 飽きずに新鮮さを持つ
自分が変わったら相手の新鮮さが見つかる
- 脳は変化ができる
自分の正体がわからないと思うように
2008年5月5日月曜日
私がマネジメントを魔法にたとえる理由
ここで、私はマネジメントを「魔法」にたとえることを提案する。強調したい特徴は
++ 不確定
++ 環境に依存
++ 努力で向上できる
++ 努力だけでは専門家になれるが、師匠にはなれない
++ 師匠になるため、センスが必要
++ 一人のパワーで世界変えられる(もちろん環境の力[関係者、組織、社会]を借りることが必要)
++ 適切道具をうまく使えば、一ランク上に上る
++ 先輩たちの知恵が重要
++ 練習が必要
2008年5月3日土曜日
top tools for learning
Free Mind Share Online
http://freemindshare.com/
2008年5月1日木曜日
無形資産の価値算定の必要性
無形資産の価値算定の必要性
情報化社会の進展、産業の高付加価値化といった「経済環境の変化」、さらには事業再編・M&Aの機会の増加、ブランド競争力の重要性の増加、無形資産・ポートフォリオの概念の導入といった「ビジネス上の要請」に伴い、無形資産の価値が注目されるようになり、かつ、その価値を算定する機会も近年増加してきています。売買等の資産移転時における価格の決定のみならず、無形資産の使用許諾に伴うロイヤルティ料率の決定等においても、無形資産の価値算定を適切に行うことが求められています。
無形資産の取引価格を適切に設定することはビジネス上も重要ですが、税務・会計上も合理的かつ客観的な算定根拠が求められます。税務面においては、不当に売却価格が安いもしくは購入価格が高い場合、適正価格との乖離分に相当する「寄付金」の授受があったものとして取り扱われることとなります。又、無形資産の売買が国外関連者との間で行われた場合、移転価格税制の観点からも問題となります。一般的に、無形資産の価格は高額になることが多く所得更正された場合、企業に与える影響はその他の資産の取引と比較した場合より大きなものとなる可能性もあります。
一方、会計面においても、近年FASB(米国財務会計基準審議会)により営業権(暖簾)の減耗テストが導入されるなど、無形資産の客観的かつ合理的な算定がより重要視される傾向にあります。
KPMGでは、無形資産評価事案の豊富な経験及び専門知識を有するプロフェッショナルを擁し、価値算定の目的に応じて以下のプロセスに準じた手法を用い、企業にとって最適な無形資産価値算定アドバイザリーサービスを提供します。
無形資産の価値算定手法
主に以下に紹介する手法を用いて無形資産の価値算定を行います。
●
マーケット・アプローチ
対象となる無形資産と類似比較可能な無形資産の独立第三者間における取引価格、ロイヤリティ料率をはじめとする無形資産の使用に係る対価を参考として、無形資産の価値を算定します。当該アプローチにおいては、対象となる無形資産と比較対象となる無形資産について、その性質や使用する状況等の無形資産を特徴付ける要素について充分な比較可能性が求められるため、実務上適用が困難な場面もあります。
●
コスト・アプローチ
評価対象となる無形資産と同様の無形資産を評価時点において再調達もしくは新たに再構築する場合に要する費用を基準にその価値を算定する手法です。なお、過去の費用を基準とする場合、算定された費用の総額から物理的減耗、機能的陳腐化、経済的陳腐化等による価値の減少部分を控除する必要があります。
●
インカム・アプローチ
無形資産を使用することによって得られる将来の経済的便益を現在価値に換算しそれらの現在価値を合計することにより、無形資産の価値を算定する方法です。当該手法の適用にあたっては、キャッシュフローの算出、および当該キャッシュフローを現在価値に割り引く際に用いられる割引率をいかに適切に算出できるかがポイントとなります。
プロジェクトのプロセス
価値算定プロジェクトは主に「事実及び機能・リスク分析」、「評価手法の選定、評価モデルの構築、価値算定」、「算定価格の検証」の3段階のプロセスを経て行われます。
(1)
「事実分析、機能・リスク分析」
評価の対象となる無形資産について、関係する当事者の業務内容や使用状況、当事者間におけるロイヤリティ取引等といった、無形資産に係る取引内容の確認および財務データの収集等を行い、事実、および機能・リスクに関する分析を行います。公開情報の収集も平行して行います。
(2)
「評価手法の選定、評価モデルの構築、価値算定」
事実、機能・リスク分析に基づき適切な評価手法を選定します。更に無形資産とそれを活用するビジネスとの関係をふまえて、評価モデルを構築します。同時に分析に必要となる財務及び市場データを収集し、構築された評価モデルに基づき対象となる無形資産の価値算定を行います。
(3)
「算定価格の妥当性の検証」
算定された評価額の妥当性について、関係者とのディスカッション及び前提条件との整合性の確認等により検証し、最終的に合理的な価値(又は価値範囲)を算定します。又必要に応じ、無形資産の取引形態の違いによる損益の変動に関するシミュレーション等も行います。
Cannon
デジタルカメラ
カラーネットワーク複合機
レーザビームプリンタ数量を伸ばし
為替によるプラス影響7.8%増の4兆4,813億円
売上総利益率は、
原材料価格の値上がり
コンシューマ製品の価格競争激化
新製品の投入や生産革新活動・調達革新活動
キーパーツの内製化の推進によるコストダウン
前連結会計年度から0.5ポイント改善し50.1%となり
売上総利益は、9.1%増加し2兆2,470億円
販売費及び一般管理費の伸びは7.4%と増収率以下の水準
積極的に研究開発投資
研究開発費が前連結会計年度から19.4%増加し3,683億円
売上高経費率は前連結会計年度より0.6ポイント上昇し33.2%
基本的1株当たり当期純利益は、前連結会計年度に比べ35円64銭増の377円59銭
7.最近の動向
(1) キヤノンマーケティングジャパン㈱は、㈱アルゴ21(東証一部上場)の公開買付を行い、平成19年6月21
日付で同社を子会社としました。また、株式交換により平成19年11月1日をもって、キヤノンマーケティング
ジャパン㈱の完全子会社となりました。(これに伴い平成19年10月26日をもって上場廃止となりました。)同
社の買収は、グループの情報関連事業の更なる強化に大きく寄与するものと考えております。
(2) 当社は、トッキ㈱(JASDAQ上場)の公開買付と第三者割当増資を引き受け、平成19年12月28日付で同
社を子会社といたしました。同社の買収は、ディスプレイ事業を強化し、基幹事業として展開することに大き
く寄与するものと考えております。
(3) 当社は、株式会社日立製作所(以下、日立)との間で、これまで続けてきた有機ELディスプレイの開発の加
速、LCDパネルの安定調達の確保及び同製品の開発促進を目的として、日立の100%子会社である株式会社日立
ディスプレイズ(以下、日立ディスプレイズ)の株式譲渡に関する契約を平成20年2月27日に締結いたしまし
た。この契約により、当社は日立ディスプレイズの発行済株式総数の24.9%を、規制当局からの許認可の取得
を条件に、平成20年3月31日までに取得します。
さらに次の段階として、当社は、将来的に、日立ディスプレイズの株式を追加取得し、同社の子会社化をめ
ざします。
ディスプレイ事業を強化
基幹事業として展開
トッキ㈱子会社化
有機ELディスプレイ開発の加速
LCDパネルの安定調達
同製品の開発促進
日立ディスプレイズ子会社化
事業を強化、基幹事業として展開
Word/Excel/PowerPoint 2007 ファイル形式用 Microsoft Office 互換機能パック
Fw 日本と韓国のITベンチャーを比較してみる
日本と韓国のITベンチャーを比較してみる
私は今の仕事の関係で日々韓国ITベンチャーのビジネスインキュベーション力を体感しています。そうやって常に生の韓国に接していると、今後日本のITベンチャーは国際社会の中で淘汰され国内市場だけで細々と食いつないでいくのが精一杯ではないかと言わざるを得ないくらい危機感を覚えます。
韓国のビジネスインキュベーション力はある種アメリカに近いと言えます。技術がある人は皆起業を目指す。技術力があり、その技術を社会が受け入れる土壌があるので独自技術を使った製品が次々とできる。チャット、音楽配信システム、TV会議システム、VOD、自動翻訳、IP電話、オンラインゲームサーバ、WEB用高性能エディター、3Dエンジン、スパムフィルタリング、アンチウィルス等々、「技術的にこんなことが実現できないのかな?」と思って探すと大抵のものがみつかるのが韓国です。それに対して日本では新技術を開発するよりは既存の技術を組み合わせて新しいサービスを提供するというタイプのITベンチャー企業がほとんどで、独自技術を使った製品を積極的にアピールしてビジネスにつなげているITベンチャー企業は韓国に比べて圧倒的に少なく見えます。
なぜ日本のITベンチャーは力がないのか。韓国と比較して次の要素を考えてみました。
日本には高度なソフトウェア開発(VisualC++をばりばり書くようなもの)の経験者が少ない。(作ったことがないので作れない)
日本はIT技術者層が薄い。(韓国では高度な技術を持ったIT技術者が多いため周りにつられて高度な技術を持つIT技術者が生まれる好循環があるが、日本ではその反対)
日本にはIT技術エリートを育成する機関が存在しない。(またIT技術者層が薄いので教えられる人がいないという事情もある)
日本人は英語が読めない。(韓国では英語で書かれた技術書でも平気で読みこなす人が多いため、世界中の情報を活用できる)
日本の市場ではベンチャー企業の作った製品がなかなか受け入れられない。(韓国は大企業でも平気でベンチャー企業の製品を使うが、日本ではベンチャー企業の製品は韓国に比べると全然売れない)
日本の市場では本質的でない些細な部分にこだわりすぎる。(韓国ではロジックがしっかりしていれば多少の誤字脱字やマニュアル不備は気にしないが、日本では余計な部分にコストがかかりすぎる)
起業をすると技術力やビジネス力がものすごく伸びるが、日本では税制や保証人制度のせいで起業がハイリスク・ローリターンで、起業に夢が持てない。(韓国やアメリカでは、失敗したらさっさと見切りをつけて次に行くが、日本では失敗時のダメージが大きすぎるので怖くて起業できない)
※特に1、4、5はとても重要です。
こんなこともあり、今後本気でITベンチャー界に飛び込みたいと思っている人は今のうちから日本から脱出する手段を身に着けておいたほうがよいかもしれないです。
平成11年度 年次経済報告 経済再生への挑戦
平成11年度 年次経済報告 経済再生への挑戦
平成11年7月
経済企画庁
[前節] [次節] [目次] [年度リスト]
第3章 新しいリスク秩序の構築に向けて
第4節 ベンチャー企業をめぐる環境
いわゆるベンチャー企業やそれらに資金を提供するベンチャーキャピタルは,規模という観点からみれば,活動が活発なアメリカにおいても産業全体の中のごく一部を占めるに過ぎないが,新規産業分野における活発な創業活動や急速な企業成長を生み出す存在である。しかし,我が国ではこうした活動がかならずしも活発ではないと考えられるため,その要因を分析し,対応策について考察してみよう。
1 ベンチャー企業の役割
(ベンチャー企業の持つ影響力)
ベンチャー企業については必ずしも明確な定義があるわけではない。しがし,ここではアメリカのベンチャーキャピタルの投資対象となるような「極めて高い成長を達成する可能性を有するものの,その実現には不確実な要素が多く,事業に失敗する可能性も高い企業」をベンチャー企業と位置付け(1),その果たす役割について考えてみる。
こうした意味でのベンチャー企業がその属する産業や経済全体の生産や雇用に与えるの影響力を考える場合,現時点の影響力のみを考えることでは不十分である。成長の実現が不確実な創業期,中小企業期よりも,むしろ「高い成長を実現して不確実性を減少させ,ベンチャー企業時代を卒業後,引き続き高い成長を続けている段階」での影響力について考えることが必要であろう(2)。したがって,ここでは,まず,アメリカにおいてベンチャーキャピタルの中心的な投資先となっている産業分野において,近年に上場・公開し,急激に成長している企業が持つ影響について考えてみたい。
(ベンチャー企業の必要性)
急速に成長し,アメリカの好景気を支えているといわれる産業分野(ソフトウェア,情報通信など)に関しては,「当該産業全体の成長率は高いが,個々の企業の成長率の分散は他の産業と比較して大きい(ハイリスク・ハイリターン)」という特性がある(第3-4-1図)。これは,こうした産業においては,①製品コストのうち,研究開発費やマーケティング費用の占める割合が大きい反面,生産工程にかかるコストが比較的小さいこと,②生産面のみならず需要面でもネットワーク外部性などが働くため,規模に関して収穫逓増のメカニズムが働き,デファクトスタンダードを確立できた企業は大きなシェアをとること,③製品のサイクルが短く価格低下のスピードが速いためデファクトスタンダードを長期にわたって確立し続けることは困難なこと,といった特徴があるためと考えられる。
また,こうした事業分野では,短期間に急成長を遂げる製品,サービスが多いが,そうした成功を比較的小規模な新しい企業が担うケースも数多くみられる。この理由としては,①技術の進歩が早く,革新的な製品・サービスが数多く生じており,既存の大企業が全ての技術・製品の萌芽に対応できないこと,②意思決定に時間がかかる大企業よりも,小規模な企業の方が容易にアイデアを製品に結び付けることができること,③生産物がアイデア重視の知識集約型であり,比較的少ない資本で多くの生産物を生み出せる場合が多く,また,生産工程に資本設備や労働力が大量に必要な場合でも,そうした工程を外注することが従来以上に容易になっていること,などが考えられる。
したがって,こうした産業分野の高い成長を促すためには,ベンチャー企業が生まれ易く,また,速やかに成長できる環境の整備が必要となる。例えば,アメリカのベンチャーキャピタルの代表的な投資先業種である情報サービス産業についてみると,97年時点において日本,アメリカともに上場・公開企業の売上高の約4割が91年以降に上場・公開した企業によって占められており(3),その発展はベンチャー企業の力を抜きにしては考えられない。しかし,日本の情報サービス産業の雇用の伸びは必ずしも高くなく(4),統計によっては91年から96年の間に雇用者数が減少しているものもある(5)。他方,アメリカにおいては,コンビュータ及びデータ処理サービス業は,SIC業種分類の3桁業種ベースで97年における増加雇用者数,伸び率とも最も高い産業となっている(第3-4-2表)。これは,こうした産業に属する企業を速やかに成長させる仕組みが,日本よりアメリカにおいてうまく働いていることを示唆している。
また,成功し,急激に成長しているベンチャー企業は,同一産業内の既存企業に比較して労働生産性が高いのみならず,製品の高機能化,低価格化においても成功している場合が多い。こうした動きは,市場での競争を通じ,既存企業の活動の効率化にも寄与する。この結果,既存企業も含めて成長が促進され,その効果は他の産業にも及び,他の産業の雇用をも増加させる。アメリカでは,GDPの伸びに寄与している業種と,雇用の伸びに寄与している業種が異なり,産業全体では雇用が増加している(第3-4-3図)。ベンチャー企業の活動は,こうした現象をもたらす要因の一つとなっていると考えられる。
2 ベンチャー企業の創出・成長のためのアプローチ
(ベンチャー企業の特色)
ベンチャー企業が創出され,成長していく上で重要なポイントは,企業の構成要素の流動性であると考えられる。ここで言う流動性とは,生産要素,所有形態,経営,生産形態,財務構造といった企業の構成要素が全て流動的で,企業の成長ステージに応じて最適な組合わせが素早く選択されるということである。急速に成長するベンチャー企業は,次々に新しい経営資源を必要とする。
例えば,資本については,創業期にはリスクに対する耐性の高い資金が必要であるが,それ程大きな金額を必要としない場合が多い。他方,成長期,あるいは「ベンチャー」を卒業した時期には,創業期に比べればリスク耐性の高い資金の重要性が低下する一方,より多額の資金を集めることが重要となる。
また,特に創業期のベンチャー企業は,事業に失敗してしまう可能性が極めて大きい。こうした企業に対して必要な経営資源が円滑に供給されるためには,各関係者がリスクに見合った収益を期待できるシステムが構築されていると共に,リスクが顕在化した場合に発生するコストが最小化されている必要がある。
こうした観点から,ベンチャー企業を支えるシステムについて,日米の現状を比較しつつ考察してみよう。
(資金供給)
① 銀行による融資
高い成長可能性を有するものの,事業が失敗する可能性も高いベンチャー企業にとって,元本の保全が要求され,金利を支払うために安定した収益を上げることを要求される銀行借入によって資金調達を行うことは大きなストレスとなる。仮に借入金で調達したとすれば,企業は,リスクの大きい事業ではなく,より確実な収益を上げられる事業に経営資源をシフトし,結果として潜在的に有していた高い成長可能性の実現が阻害される可能性がある。特に,借入金にいわゆる代表者個人保証が付けられている場合は,事業が失敗した場合に企業家に大きなコストが発生するため,企業家をリスク回避的にする可能性が高まると考えられる。
こうした問題を回避するためには,銀行サイドが,貸付けた資金がリスクの高い事業に投入されることを積極的に容認する必要がある。しかし,この場合,貸倒れリスクは高く,モニタリングコストも大きくなる。このため,無担保の場合は極めて金利が高くなるなど,通常の銀行の融資体系からみれば異質のものとなる可能性が強い(6)。
ただし,銀行が高リスクの貸付を低金利で行うことと引き換えに,将来,事業が成功して企業が成長し,大きな資金需要が生じた場合に,銀行に有利な金利で独占的に貸付を行う暗黙の契約が存在すると仮定すれば,こうした融資行動も合理的であるという考え方も成り立つ。従来の日本のように,企業と銀行の間で長期継続的取引関係を前提としたメインバンクシステムが機能している場合は,こうした仮定が成立するケースが多かったと考えられる。しかし,近年,いわゆる各行横並びの金利体系が崩れつつあることや,一定の水準以上の規模及び財務体質を有する企業に対しては直接金融市場が整備されていること,さらには期待成長率が低下していることなどを併せて考慮すれば,リスクの大きい貸付を行うことによって銀行が将来に得ることのできるリターンは従来に比べて縮小し,銀行が取ることのできるリスクの量も縮小していると考えられる。
このように,創業期のベンチャー企業に対しては,貸付という手段ではリスクに見合った収益を期待することが難しくなりつつあることから,成功報酬的な側面を持つ株式を通じた資金供給ルートを充実していく必要があると考えられる。
② ベンチャーキャピタル
ベンチャー企業に対して株式による資金供給を行う主体としては,いわゆるエンジェルやベンチャーキャピタル(7)などが存在し,特にアメリカではこうした者の活発な活動がベンチャー企業の創出・成長を支えている。ここでは,日本とアメリカのベンチャーキャピタルの現状について比較してみよう(第3-4-4図)。まず,投資残高と投資金額を比較すると,97年時点では,日本は投資残高(ストック)でアメリカの18%,投資金額(フロー)で16%程度8に止まっている。しかし,①アメリカのGDPが日本の約2倍であること,②年間投資金額の差は過去に遡ると大幅に縮小すること,③現在のアメリカ経済に影響を与えているような企業に対する投資は過去の時点でなされたものであること,④アメリカにおいてもベンチャーキャピタルが集める資金量はマクロ的に見れば必ずしも大きな量ではないこと9,などを勘案すると,日本とアメリ力のベンチャーキャピタルの差を資金量という面のみからとらえることは適切ではなく,両者の差はベンチャー企業を育成するノウハウの面において大きいと考えることが適当であろう。
次に,日米のベンチャーキャピタルの投資行動の差異を見てみよう。まず,日本のベンチャーキャピタルの97年度における投資回数は4,457回であり,うち,新規の投資先は2,547社である。他方,アメリカの97年の投資回数は2,672回であり,新規の投資先は1,296社である(第3-4-5図)。これは,投資金額が多く,かつ,起業活動が盛んで投資先候補が多いアメリカの方が,日本よりも投資先数を絞っていることを示している。この結果,投資一回当たりの金額は,アメリカの約490万ドルに対して日本は約4,500万円と極めて大きな差が生じている。アメリカのベンチャーキャピタルは複数回に分けて投資を行うことが多いことを勘案すれば,一企業当たりの投資金額の差は一層大きくなる可能性が高い。すなわち,アメリカのベンチャーキャピタルが投資先企業を厳しく選別するとともに,有望な企業に対しては積極的な関与を行って投資リスクの低下を図っているのに対し,日本のベンチャーキャピタルは投資先を多数の企業に分散させ,関与の程度も低いことがよみとれる。
ベンチャー企業の事業リスクが高い要因としては,当該企業の製品に関する市場規模,競争能力,企業家の能力等が未知であり,成長のために必要な人材が企業内部に存在しないことが大きいと考えられる。したがって,こうした企業への投資を成功させるためには,経営指導や,必要な人材のスカウト,適当な取引先の紹介など,投資先企業に欠けている経営資源を補完することが必要となる。このため,ベンチャーキャピタルには,企業に対する資金供給者となるだけではなく,企業家と対等以上の共同経営者として企業経営に参画することが求められる。アメリカのベンチャーキャピタルはこうしたコストのかかる手法を用いることにより,投資先のリスクを速やかに低下させてIPO(10)やM&Aに結び付けて高いキャピタルゲインを獲得し,高いコストに見合った収益率を確保するとともに,企業家サイドのモラルハザードの発生を回避していると考えられる。
このように,日本の従来型のベンチャーキャピタルの投資手法は,特に創業期のベンチャー企業に対して有効とは言いにくい。実際,ベンチャーキャピタルの投資先業種を比較すると,アメリカがハイテク事業分野中心なのに対し,日本は小売業,その他サービス業など非ハイテク事業分野が中心であり(第3-4-6図),投資先企業の企業年齢についても日本の方が高い11。これは,日本のベンチャーキャピタルが創業期のベンチャー企業,とりわけ新市場を開拓するような企業に対する投資に消極的であることを示唆している。
日本のベンチャーキャピタルがこうした投資行動を採る要因の一つとしては,その多くが金融機関の子会社であり,実際に業務を行う者も親会社からの出向者が多く,投資先に長期的・積極的な関与をしにくかったことが挙げられる。また,ベンチャーキャピタルの組織するファンドの出資者の内訳を見ても,日本は投資原資のかなりの部分が銀行によって占められており,アメリカが年金基金など長期間の運用を前提とする投資家の比率が高いことと対照的である(12)。
近年,日本においても,ベンチャーキャピタルの活動に係る法制度の整備が進み(13),今後,資金的,制度的な面がらの制約は一層緩やがになると考えられるが,こうした改革の効果を十分に発揮してベンチャー企業の活動の活発化に結び付けるためには,ベンチャーキャピタル自身の投資能力の改善と,それを厳しく監視・要求する投資家の姿勢が不可欠であると考えられる(14)。
③ 店頭公開市場(15)
成長を続けているベンチャー企業にとって,IPOとは,企業規模の拡大に不可欠なよりコストの低い資金へのアクセスが可能となったことを意味する。したがって,産業全体に大きな影響を与えていくようなベンチャー企業は,IPO以前のみならずIPO以降に大きな成長を実現すると考えられる。一方,こうした企業の存在により,投資家は高い収益率を実現することが可能となり,公開企業に対する投資を更に増加させるインセンティブが働く。こうした循環が適切に働く場合,市場に投資される資金は増加し,公開企業の資金調達が一層容易となり,企業の成長が促進されることとなる(16)。
このような観点を踏まえて日本の店頭市場とNASDAQを比較してみよう(第3-4-7図)。まず,IPO直後の企業の資産規模を比較すると,日本の店頭市場とNASDAQではあまり差がないが,売上高,利益は日本の店頭市場の方が大きい。しかし,日本の店頭市場では,公開企業全体の資産,売上高,利益の規模はIPO直後のものと比べそれほど変化していないのに対し,NASーDAQでは公開後に大きく成長している。これらは,日本の店頭市場が,成長期の企業が資金調達を行う市場としての性格よりも,成長後の企業の株式を流通させるための市場,あるいは証券取引所へ上場するための足がかりの市場としての性格が強いことを示唆している。他方,NASDAQにおいては,「成長する企業」の多さが投資家にとっての大きな魅力となり,売買の注文を増加させ(17),これがマーケットメーカー制度(18)の円滑な運営にも大きく寄与していると考えられる。
日本の店頭市場に「成長する企業」が少ない原因として,アメリカに比べてベンチャー企業が少ないことの他,企業の株式公開を引き受ける証券会社の企業評価が,アメリカに比べて保守的なことが挙げられる。日本の店頭市場とNASDAQのIPO時点での企業年齢を比較すると,NASDAQの方が大幅に低く(19),また,IPO時点の売上高,利益などもNASDAQの方が小さいことは,こうした可能性が高いことを示唆している(20)。日本の店頭市場がベンチャー企業の資金調達の場として機能するためには,引受け証券会社が,より早い段階で企業のリスクと将来性を的確に勘案して企業価値を判断し,株式の公開を進めるためのノウハウを備える必要がある。また,こうした判断が可能となれば,早期に投資先企業のIPOが見込めるため,ベンチャーキャピタルが創業期のベンチャー企業に対する投資を増加させる強いインセンティブになると考えられる。
ただし,「公開後に成長する企業が多い」ということは,企業価値が不安定な段階で株式公開を行うということでもある。アメリカの上場・公開企業の売上の伸び並びに標準偏差の双方が日本よりも大幅に高いことから推察されるとおり,これは公開後に企業の業績が大幅に変動するリスクを伴う(前掲第3‐4-1図)。NASDAQは,日本の店頭市場と比較して,新規登録企業数も多いが登録廃止企業数がそれ以上に多い(第3-4-8図)。したがって,NASDAQ公開企業への投資はリスクを伴っており,株式保有シェアも個人投資家よりもポートフォリオ管理が可能な機関投資家の方が多い。今後,より成長可能性の高い企業の株式を公開していくためには,公開企業の情報開示の透明性を高めて投資家が投資先企業のリスクと成長可能性について適切な判断を行えるようにするとともに,投資家自身がリスク対応能力を高め,自己責任原則に基づいて投資判断を行っていくことが求められる。
(人 材)
起業活動が極めて盛んなアメリカにおいてさえベンチャーキャピタルは投資先を相当程度絞っていることを勘案すれば,有望なベンチャー企業を創業し得る企業家は必ずしも多くは存在しないと考えられる。したがって,こうした者が埋もれることなく,より多く積極的に起業活動に向かうような環境を設けることが重要となる。この場合,成功した場合のリターンの大きさのみならず,前述のように失敗した場合の企業家の負担の大きさが問題となる。
また,企業家は失敗から極めて多くのことを学ぶことができる。したがって,能力が同じであるならば,1回目よりも2回目の方が事業に成功する確率は高くなる。このため,失敗した企業家の再チャレンジが可能であるか否かは,ベンチャー企業の成功確率を高める上で極めて重要な要素となる。こうした観点からは,事業が失敗した場合に,その失敗の中味を分析した上で,企業家が再出発することを支援するような意識が投資家に対し求められるとともに,一層高度なリスク管理能力が求められる(21)。
また,ベンチャー企業が速やかな成長を実現するためには,必要な人材を企業外から調達する必要がある。他方,ベンチャー企業は事業に失敗するリスクが大きいため,こうした役員や従業員についても,企業家と同様,リスクに応じた報酬を得ることが可能で,同時に事業が失敗した場合に払うコストを小さくするシステムが必要となる。このためには,①ストックオプションなど,役員や従業員がリスクに応じた高い収益機会を得る報酬形態の導入,②転職者に不利にならない中立的な年金制度,③特定の企業と結び付かなくてもキャリアを向上させられるような人材市場の整備,④大学在籍の研究者が身分を維持したまま民間企業の事業へ参画する道の拡大,といった環境の整備が必要である。
このうち,ストックオプションについては97年5月に一般的に導入されており,今後,ベンチャー企業の人材獲得に大きな役割を果たしていくことと期待される。また,企業年金制度改革については,いわゆる401kプランの導入など労働移動に対して中立的な制度整備を早急に行うことが必要であろう。
3 ベンチャー企業の活発化のために
以上述べてきたように,ベンチャー企業の活動を盛んにする上では,投資家や企業家が高い成長を目指すことに伴うリスクを認めた上で,リスクが顕在化した場合のコストを最小化し,それを適切に分散してシェアする組合せを確立することが重要である。こうした観点からは,エンジェル,ベンチャーキャピタル,NASDAQ,転職が不利にならない人材市場,機関投資家,さらにはこれらの活動を円滑化している公認会計士や弁護士,企業アナリストなどの存在,といったアメリカのベンチャー企業を成長させるシステムについて,制度のみならず,実際の投資活動,事業活動,市場運営のノウハウまで含めて,十分な研究と我が国経済への応用を図ることが必要である。
また,リスクが顕在化した場合に埋没するコストを下げるためには,企業を構成する様々な要素が市場において評価され,高い流動性が確保されていることが重要となる。政策面でも,こうした流動化にとっての障害を取り除いていくことが,ベンチャー企業の活動を活発化する上で重要となると考えられる。
「リスクのコントロール」という考え方は,ベンチャー企業のみならず,般的な企業活動,投資活動についても当てはまる。現在議論されている倒産関連法制の見なおしに関しても,「事業の失敗」が従来に比べ起きやすくなっている中で,失敗の際の負担への心配から起業活動が低迷し,結果として社会全体の効用が低下している可能性がある,という点を念頭におきつつ検討を行う必要があろう(22)。最大限の努力をした者であっても失敗し得るということを社会全体が認識し,再挑戦の機会を獲得できるようにすることが,今後一層重要となると考えられる。
[前節] [次節] [目次] [年度リスト]
第1回 ベンチャー企業支援の淵源
VEC 理事長 浜田 隆道 氏
第1回 ベンチャー企業支援の淵源
皆さん、はじめまして。財団法人ベンチャーエンタープライズセンター、通称VECの理事長をしています濵田と申します。
それでは、これから、しばらくの間、「ベンチャー企業支援の今昔」という題でお話をさせて頂きたいと思います。
これは私が経済産業省に在職中に様々なホストでベンチャー企業の担当となり数々のベンチャー企業支援策というものを実際企画し、実施に移してきましたので、その時々の、どういうねらいだったかというようなお話を中心にしたいと思っています。
ところで、昔からベンチャー企業の支援というのは経済産業省の非常に重要なテーマだったわけですが、何十年もこういう政策を展開してきてますけれど、その当時の問題意識が今日達成されたかというと、今も昔も相も変わらずという感じです。すなわち、米国とちがって日本から世界に通用するようなベンチャー企業が生まれてこないじゃないかというような意味では、ベンチャー支援政策の効果・成果は思うように挙がっていないという声もあると思います。そういう意味では、歴史をふりかえり、その当時の問題意識と今日のベンチャー支援の意義というのを含めて整理をしていきたいというふうに思っております。
ベンチャービジネス、あるいはベンチャー企業とも最近はよく言われていますけれど、この言葉は、皆さんご承知のように、昭和40年代の半ばに清成先生たちが勉強会を作られ、そこでの議論の中から生まれてきたというものですから、完全に日本オリジナルなコンセプトです。したがってベンチャー企業支援の歴史というのは、この勉強会の成果として財団法人ベンチャーエンタープライズセンターの設立をもって始まったと解釈されているわけです。実際、こういった認識はベンチャー企業論の教科書と言ってもよい松田修一先生の本などにも示されています。(ベンチャービジネスというコンセプトがそこから始まっているので当然とも言えます。)
しかし我が国のベンチャー企業支援の歴史は実はもう一つ前があるということを今回はテーマとしたいと思います。清成先生をベンチャー支援のキリストと考えますとビフォーキリスト(B.C)すなわち紀元前の歴史として、中小企業投資育成会社の設立というものがあったわけです。1963年に中小企業投資育成会社法という法律に基づきまして、東京、大阪、名古屋に公的なベンチャーキャピタル3社が設立されました。これは1958年に米国で中小企業に対するリスクキャピタルの提供や創業支援ノウハウの充実を図る目的面でSmall Business Investment Actが制定され、SBIC(Small Business Investment Company)制度が開始されたことを踏まえてのことだと思われます。
ところでアメリカのベンチャーキャピタルの起源は、1920年代にまでさかのぼることができるといわれておりまして、そのころの財閥や個人投資家などが、後に大企業となるような企業にスタートアップ資金を提供したというケースが散見されたようです。しかし、産業としてベンチャーキャピタルという形態を確率させたという意味では、1946年のAmerican Research & Development(ARD)の設立が世界初であることは疑いがありません。この会社は当時の全米証券業協会の会合でボストン連銀総裁ラルフ・E・フランダースが提唱して、それに賛同したハーバードビジネススクールのドーリオ教授たちによって設立されたものです。
その目的は、大企業だけではアメリカの経済の繁栄は続かないだろうという認識の下に、スタートアップ企業に対して莫大な機関投資家資金の一部を投資するための仕組みを作ることが大事だという趣旨でした。こうした認識の背景には第二次世界大戦中に軍事用目的に様々なR&Dが進んだわけですけど、これをいかにビジネスに転用するかという面もあったかと思います。ARDはクローズドエンド型投資会社として設立され、当初は5百万ドルという額を募集した訳ですが、7割しか集まらなかったというように、かなり設立時は棘の道だったようです。しかし、その後ARDはDECへの投資を契機に、DECの成長とともに大成功を収めて、ベンチャーキャピタル投資ブームのきっかけなった訳です。
それに刺激を受ける形で米国中小企業庁が1958年に先程言いましたSmall Business Investment Company制度を開始したことが、ベンチャーキャピタル業界にとっての第2ステージの始まりとなりました。このスキームは、SBICが自ら投資した額につき政府から4倍の低利融資を受けるというもので、これを投資に回せることとなりました。しかし、低利にせよ融資制度に依存した結果、政府への返済のため、実際の投資活動ではARDとはほど遠い投資行動を採らざるをえなくなってしまいました。具体的にはあまり株式取得は行わず、融資中心の活動となった訳ですが、政府の支援もあり、1960年代の半ばには約700社にもなりました。しかし、ARDの経験は生かされず、中小企業のリスクを過小評価することで60年代末には200社以上のSBICに深刻な問題が発生するなど紆余曲折を経て今日に至っています。
このSBIC制度をほとんどそっくり真似して導入したのが我が国の中小企業投資育成会社法でして、米国のSBICと同様に比較的保守的な投資態度がとられました。ARDなどの民間VCの経験は活かされなかった訳です。具体的には投育3社は年率約6%程度の配当を安定的に保証できる中小企業に対してのみ、発行済み株式の20~30%を長期間保有するというようなスタンスで投資を行った訳です。
当時は証券市場が現在ほど新興企業向きじゃなかったということもあって、IPOが投資のゴールとはされずに長期安定保有、キャピタルゲインよりはインカムゲインを中心に運用するというのが、この3投育の基本的な機能だったわけです。このようにやや保守的な運営だったのですが、一定の政策的効果はありました。具体的には、まず、投育からの投資があった中小企業にとっては、政府の出資を得た優良な企業であるというお墨付き効果があって、その後金融機関や取引先に対する信用につながりました。また、長期中立的な株主がいるということで安定経営が図れるというメリットもありました、さらに、相続税評価の際には未公開株の株価算定基準に投育の投資額を基準にするという通達が出されたことで、投育にとっては安価に株式が取得できるという効果もありますが、一方で事業承継に際しては会社の株式が比較的低く評価されるということで事業承継がスムーズに行くというようなメリットがありました。
投育はガバナンスについても比較的ニュートラルで、その保守的なスタンスからベンチャー企業支援の歴史に明確に位置付けられないできたということかもしれませんが、米国の例にならって中小企業の活性化を図ろうというパターンから見るとベンチャー企業支援のプロトタイプではないかと思います。
次回に述べます我がVECを作った熊野さんという通産省の先輩が東京投育の社長になられて以降、同社のスタンスも非常に積極的になり、ベンチャービジネス育成の一翼を担うという展開となっており、現在では公的ベンチャーキャピタルとして大変な活躍をしています。
以上、一回目はベンチャー企業支援の前史ということで、次回はVEC誕生の秘話というテーマでお話を続けていきたいと思います。
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ベンチャービジネスにおける日中の比較
2007年1 月
ベンチャービジネスにおける日中の比較
――ソフトバンクと聯想を例に取り上げて―
指導先生 大庭 篤夫 教授
国際学研究科
国際学専攻
20441141
祁 智
目次
Ⅰ はじめに………………………………………………………………………………… 1
1.本研究の問題意識…………………………………………………………………… 1
2.本論文の構成……………………………………………………………………………2
3.二つのイノベーション……………………………………………………………………3
Ⅱ 本論……………………………………………………………………………………………5
第一章 ベンチャービジネスとは何か……………………………………………………………5
第1 節 ベンチャービジネスの概念………………………………………………………5
第2 節 ベンチャービジネスの成長段階と要因…………………………………………7
第二章 米国におけるベンチャーキャピタルの発展……………………………………………9
第1 節 米国におけるベンチャービジネスの概説………………………………………9
第2 節 ベンチャーキャピタルの発展における社会的、文化的要因……………………9
第三章 日本におけるベンチャービジネスの発展経緯………………………………………11
第1 節 日本におけるベンチャービジネスの現状……………………………………11
第2 節 日本における3 次のベンチャーブーム………………………………………12
第3 節 日本におけるベンチャーキャピタルの現状…………………………………… 13
第四章 中国におけるベンチャービジネスの発展………………………………………………19
第1 節 中国におけるベンチャービジネスの現状………………………………………19
第2 節 中国におけるベンチャーキャピタルの現状……………………………………20
第3 節 問題点……………………………………………………………………………23
第五章 ベンチャーで発足したソフトバンク……………………………………………………25
第1 節 孫正義の略歴……………………………………………………………………25
第2 節 ソフトバンクに関する分析………………………………………………………25
第3 節 ベンチャー企業であるソフトバンクの経営手法と戦略…………………………27
第六章 グローバル企業に発展してきた中国のベンチャー企業である聯想集団……………31
第1 節 聯想集団の成長経緯……………………………………………………………31
第2 節 聯想集団の所有構造……………………………………………………………32
第3 節 聯想集団の成長要因……………………………………………………………34
第七章 日中ベンチャービジネスの比較…………………………………………………………36
第1 節 日中ベンチャービジネスにおける社会背景の比較……………………………36
第2 節 日中ベンチャービジネスにおける起業者の比較………………………………37
第3 節 日中ベンチャービジネスにおける資金調達の比較……………………………37
Ⅲ 終わりに………………………………………………………………………………………39
引用文献…………………………………………………………………………………………40
参考文献…………………………………………………………………………………………43
1.問題意識
現在、世界では停滞する経済を活性化させるための起爆剤とするベンチャービジネスに高い関
心が集まっている。日本におけるバブル崩壊以後、長期低迷する経済の活性化の推進力としてベ
ンチャー企業による新産業創出に大きな期待が寄せられており、産‧学‧官(国、地方自治体)がそ
れぞれの構想のもとに多様なベンチャー支援策を打ち出している。一方、世界に無視できない存
在となった中国は、さまざま分野における驚異的速度で変化と進化している。ベンチャービジネス
でもその一つである。
「ベンチャービジネス」という言葉は、英語ではなくて、和製英語である。アメリカはもちろんイギリ
スにおいても通常の会話では、いわゆる新興企業をベンチャー・ビジネスと呼ぶことはなかった。
Startups あるいはnew venture company などと表記されている。和製英語の「ベンチャービジネ
ス」は1970 年通商産業省の佃近雄によって、初めて使われて、清成忠男、中村秀一郎、平尾光司
三氏による「ベンチャービジネス」という著作でそれを広く普及させた。
本論文は、三つの問題意識を持って、書いたものである。
経済社会におけるイノベーションの役割と影響はとても大きい。新しい製品やサービス、新しい
生産技術や方法、あるいは新しい組織や仕組など、経済成果をもたらすさまざまな革新を生み出
すことによって、イノベーションは生産性の向上を可能にし、経済の成長を支え、企業の盛衰を左
右する。また、社会、経済の発展は、様々なイノベーションによってもたらされるが、一般にイノベー
ションという場合、科学技術的なイノベーションを思い浮かべることが多い。しかし、社会や経済の
進歩は、必ずしも科学技術に基礎を置くイノベーションだけでなく、社会的な制度や組織のイノベ
ーションによってもたらされたものも多いのである。企業にとっては、両方のイノベーションでいかに
バランスをとるのかということが重要である。特にイノベーションを魂とするベンチャー企業にとって
は、それがもっと重要であろう。その考えを基づいて、イノベーションとベンチャービジネスの関係を
明らかにすることは、本論文の第1問題意識である。
日本では、これまで3度にわたりベンチャーブームが起こっているが、いずれも失敗に終わって
おり、その要因には企業そのものではなく制度、環境によるものであったと考えられる。ただ注意し
なくてはいけないことは、今日のようなベンチャービジネスと呼ばれる企業がベンチャーブーム以前
に存在しなかったわけでは決してない。たとえば、ソニー(1946)、ホンダ(1948)、ダイエー(1957)、
京セラ(1959)など、現在では大企業へと発展している。したがって、当時の制度、環境から手に入
れ、元々アメリカで誕生したベンチャービジネスはどのように日本で発展されたのか。それは本論
文の第2 の問題意識である。
一方、中国の場合は、鄧小平氏の「科学技術は生産力である」という方針を打ち出したから、99
年朱鎔基前首相の「ハイテク立国」にかけて、ハイテクを中心にベンチャービジネスが発展している。
大学・研究機関が保有するハイテク技術の企業化をねらいとして重点大学を中心にベンチャー投
資会社が数多く設立された。その背景の下に多くのベンチャー企業が誕生した。特に聯想集団公
司(レノボ)はそのハイテクベンチャー企業の体表として、大企業へ発展している。しかし、金融市
場、法律の不備、政府の介入などの問題なので、その多くは失敗した。先進国に比べると、中国の
ベンチャービジはまだ始まったばかりにすぎない。だから、中国におけるベンチャービジネスの現
状と問題点を明らかにすることは本論文の第3 の問題点になっている。
最後は、代表的な日本のベンチャー企業といわれるソフトバンクと中国のベンチャー企業である
聯想を注目し、比較したい。ひいては、中国におけるベンチャービジネスの発展について試論す
る。
以上の問題意識を持って、また経営学者方々のご意見と論点を踏まえて、本論文を書くことに
する。
2.論文の構成
本論文は七章から構成されている。
現在、日本だけではなく、世界各国で経済が停滞するとともに、環境、福祉、教育など多様な領
域でさまざまな社会的問題が顕在化し、多くの人々に閉塞感が充満している。それはベンチャー
企業に大きな関心が集まっている最大の理由である。ベンチャー企業の創造は、このような経済問
題や社会的問題を解決するための重要な鍵として期待されているのである。
第一章では、ベンチャービジネスの歴史的な流れを明らかにするために、ベンチャービジネスの
概念、またベンチャービジネスはどこで、どのように誕生するのか、ということを明らかにする。
第二章では、ベンチャービジネスというものをわかるようになるために、アメリカで誕生したベンチ
ャーキャピタルの発展史を了解する必要がある。ここでアメリカでのベンチャービジネスの発展経緯
とアメリカベンチャーキャピタルの発展における社会的、文化的要因について述べたい。
第三章では、日本におけるベンチャー企業の現状、現在まで日本で発生した3次のベンチャー
ブームと日本におけるベンチャーキャピタルの現状について述べたい。そして、日本におけるベン
チャーキャピタルの問題点を諸論者の観点を踏まえながら、論じたい。
第四章では、中国におけるベンチャービジネスの現状、中国におけるベンチャーキャピタルの現
状について述べたい。また、資料と諸論者の観点を踏まえながら、中国におけるベンチャーキャピ
タルの問題点を論じたい。
第五章では、ベンチャーで発足したソフトバンクに関しては、その起業者である孫正義の経歴、
および当時の社会背景を検討する上で、ソフトバンクを論じたい。
第六章では、グローバル企業に発展してきた中国のベンチャー企業である聯想集団を論じたい。
本章では、当時社会を背景として、聯想集団の成長経緯、所有構造および成長要因を三つわけ
に検討する上で、聯想の成功要因を試論してみたい。
第七章では、社会背景、起業者、ベンチャーの資金調達という三つの方面から日中のベンチャ
ービジネスを比較してみたい。最後に、先進国であるアメリカ、日本におけるベンチャービジネス発
展経験を参考することに基づいて、中国のベンチャービジネスの将来を試論しようと思われる。
参考文献
日本語
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中国語
1.凌志軍 著 「聯想風雲」 中信出版社 2005 年1 月
2.井上篤夫 著 李颖秋 訳 「飞得更高」 中国鉄道出版社 2006 年1 月
3.中国統計年鑑 2003
北見にベンチャー企業は生まれるか
経営研究担当シニアリサーチャー 渡 辺 康 夫
要 約
2001年4月から1年間、北見工業大学の客員教授として北見市の主として起業家にインタビューを行い、北見市のベンチャービジネス創業の環境がいかなるものかを調査し、北見工業大学がどのように支援すべきかをまとめた。
昨今のベンチャーブームの背景には、競争力を失った企業を市場から退出させ、競争力ある産業・企業を育成するという、いわゆる産業構造の改革がある。これまで、既存企業による産業構造改革の試みも成功しなかった。また、わが国の開業率は長期的に低下傾向にあり、最近では廃業率を下回る状況である。このような状況からの脱出を図る目的でのベンチャービジネスであるから、ベンチャービジネスは単なる生業ではなく、わが国産業の発展に寄与するものでなければならない。
では、北見市ではベンチャービジネスの現況はいかになっているのか。今回のインタビューからの知見のひとつは、当市の起業家といわれる人たちの多くが北見市出身で、都会でのビジネスマン経験を持ち、あるときに家庭の事情で戻って来ざるを得なかった人たちであった。逆にいえば、特別な家庭の事情のない多くの人たちは、この地を去っていき、人材不足が産業の発展を妨げるのである。
また、これらの起業家たちは北見市の風土が新規参入者に冷たい、排他的であるという。しかし、完全なよそ者である起業家は、そのような扱いを受けていなかった。その理由は、今回の調査からは明らかでない。
3つ目の知見は、北見市を代表する経済人が、異業種交流組織といった形態をとりながら新規事業の創出に努力を重ねていることである。しかし、その実績を見ると、必ずしもベンチャービジネスとして有望な製品が生み出されたとはいえない。資金面でも、これらの小さな新規事業に必要な資金は地元でも調達が可能のようであるが、本格的なベンチャービジネスが現れたときに資金を負担する能力があるのかどうかは疑問である。
このようにみてくると、北見市でベンチャービジネスを創出することは、かなり難しいようにみえる。しかし、これらが北見市固有の事情かといえば、おそらく全国の地方自治体に共通ではないかと思われる。したがって、いかにして北見市にベンチャービジネスを興すかを考えることは、わが国のベンチャービジネスをいかにして興すかを考えるのに等しい。そこには金融、税制、一極集中型の社会構造、教育などわが国の社会システム全体が関わっており、簡単に解決する問題ではない。
このような環境のなかで、北見工業大学が貢献できることは何か。1つは、もちろん技術的な支援である。ビジネスに結びつく技術を開発し提供することである。2つ目は大学と
いう権威による支援である。大学が何らかの形で参加しているということが、権威付けや安心感を与えることになって、ビジネスを興しやすくする。しかし、これは一つ間違うと、ミスリードすることにもなるので慎重さが必要である。3つ目は、ベンチャービジネスに挑む人たちに対する精神的な支援である。ベンチャービジネスは、そのかなりの部分が失敗して倒産するものである。その人たちが、世間から冷たい目で見られないような環境作りが必要であり、それをリードできるのは権威ある大学ではないだろうか。
1. 今、なぜベンチャーか
日本企業の、それも日本長期信用銀行、日本債権信用銀行、北海道拓殖銀行、山一證券ヤオハン、マイカル、そごう、ダイエー、青木建設、殖産住宅といった大企業の経営破たんが続いている。大企業ことに金融機関などは絶対に倒産することはないと信じていた日本人の常識は、いまや根底から覆されたのである。
金融機関、ゼネコン、流通業だけでなく業績悪化は、いまや全産業ともいえる状況が続いている。日本を代表する日立、東芝、NEC、富士通といったハイテク型大企業も実質赤字決算に追い込まれている。自動車産業でもトヨタ、本田技研以外は世界的な再編成の中に巻き込まれ、日産は仏ルノー、マツダは米フォードによって再建中である。
中小企業はといえば、デフレ経済の中で売上減少に苦しみ、かつ金融機関の再編や再建にともなう貸し渋り、資金引き上げで倒産が続出している。そして、いまや失業率は過去最高の5%台となり6%に達しようかという勢いである。
このように1990年代に入り、いわゆるバブル経済が崩壊して10年余、政府は、ありとあらゆる再建策を策定し、莫大な財政赤字をも省みずに既存産業やそれを構成する中小企業、大企業の活性化に膨大な資金や努力を投入したにもかかわらず思ったほどの効果はあがらなかった。また、産業構造審議会では新規・成長分野を予測し、新産業、新成長分野への産業の誘導を試みたが、これも必ずしも成功したとは言えない。
新日本製鉄の例をあげるまでもなく、大企業が事業構造の転換を目的として始めた新規事業の多くが失敗に終わった。優秀な大学を優秀な成績で卒業した人たちを集めた企業なら、どんな分野の事業に進出しても成功するという考えが、単なる妄想・神話でしかなかったことを示すと同時に、これらの「壮大な挑戦」は新規事業を立ち上げるのに古い企業体質・システムが、いかに妨げになるかを白日の下に晒す結果となった。
これは、わが国が第二次世界大戦後に築き上げた「日本型資本主義」ともいうべき経済体制の敗北ともいうべきものである。わが国が戦後、高い経済成長率と低い失業率を保ってこられたのは終身雇用制によるところが大きかった。制度と呼ぶにしては何の法的根拠もないという批判もあった終身雇用制だが、できるだけ雇用を確保しようとする姿勢が経営にあったことも事実である。そして、それら大企業が産業の盛衰にあわせて事業内容を転換さえできれば、わが国は「英米型の資本主義」をしのぐ「日本型資本主義」を築けるはずであった。ところが、そうはいかなかった。
そこで、国の政策も既存企業の再活性化に軸足を置いていたのを、徐々に新たなベンチャー企業の輩出へと軸足を移してきている。その象徴的なものが、1995年4月に施行された「中小企業創造活動促進法」である。これは、従来の弱者救済型ではなく「著しい新規性を有する技術」や「研究開発成果の利用」などの可能性ある企業を「創造的中小企業者」として認定し、さまざまな支援を行っていく制度である。さらに、国は各都道府県に「ベンチャー財団」を設立し、間接的ではあるがベンチャー企業への投資や社債引き受けに道を開いたのである。そして、その総仕上げが1999年秋の「中小企業・ベンチャー国会」で成立した中小企業基本法の改正および一連の政策である。
このように、わが国が経済発展を続け雇用を確保するためには産業構造を転換する必要があり、そのためには新規事業の創出が不可欠であることが認識された。しかし、既存企業からは新たな事業が創出されない。この実情を踏まえて、ベンチャービジネスの創出がいま脚光を浴びているのである。
2. 開業率の低下
ベンチャービジネスを国家挙げて支援しようという背景には、わが国の開業率の低下という問題もある。開業率とは簡単に言えば、新たに開業した個人・法人等が1年間にどの程度の割合であったかを示す指標で、下表に示すように、わが国の開業率は長期低下傾向にある。それにもまして、昭和60年代後半以降に開業率が廃業率を下回ったことが大きな問題である。これは、事業所の総数が、わが国全体として減少傾向にあることを示すものである。
図表 わが国の開業率・廃業率の推移
出典)2001年版中小企業白書
最新のデータである平成8年から11年の3年間のデータを総務庁の事業所統計で見てみよう。日本全国で新規に開業した事業所の総数は約74万件なのに対して、廃業した事業所数は約106万件で、この3年間に約30万件の事業所が減少している。これに伴って、従業員数も減少している。新設事業所の従業員数が約628万人なのに対して廃業事業所の従業員数は約717万人で、約89万人の雇用が消滅している。さらに存続事業所でも雇用を減らしているので、この間の雇用者の減少は約370万人にのぼる。
これを北海道でみてみると、同じ3年間の新設事業所数は約34千件、廃業事業所数は約49千件で約15千件の減少である。従業員数では約26万人の雇用創出に対して約33万人の消滅で差し引き約7万人の雇用が減少している。さらに存続事業所の減少分も加えると、約18万人の雇用が減少している。
同様の視点で北見市を見てみると、同じ3年間に新設事業所は655件で、廃業事業所数904件を249件下回っている。従業員数も新設事業所で5,378人増加したのに対して廃業事業所の従業員が6,582人で差し引き1,200人ほどの減少である。既存事業所の減少分を加えると総計で約3,500人の雇用が消滅している。
開業状況、雇用状況は全国的にみて、かなり厳しい状況にあるといえるが、それでは北見市が全国的にみて見劣りする状況にあるのだろうか。人口1,000人当たりの新設事業所数を求めてみる。下表の「開業の割合」をみると、北見市あるいは北海道は、東京都には及ばないものの全国平均を上回っている。北海道や北見市が、この点で特に見劣りする状況にあるわけではないことに注目すべきである。
図表 新規開業の割合
人口開業数開業の割合北海道5,718,93234,3116.0全国126,919,000742,1215.8東京都11,823,029105,8058.9北見市110,4526555.9開業の割合:人口1000人あたり開業数
出典)総務庁「事業所統計」および厚生労働省「人口動態調査」から作成
3. ベンチャービジネスの定義
ベンチャービジネスとは何か。新規事業なら何でもよいのか。生業としての魚屋やラーメン屋もベンチャービジネスなのだろうか。否である。どうしてか。それは現在、国の政策としてベンチャー支援を行う背景には、それらのベンチャー企業が先々大企業に育つ、あるいは産業として大きな雇用創出につながることを期待しているからである。そうでなければ、国家が支援する必要はない。特別な支援がなくとも、毎年、少なくとも数十万件規模での新規事業所が生まれているのである。ベンチャーは、その誕生時には小規模な企業であっても、その目標は壮大でなければならない。経営者とその家族が食べていければよ
いと考えるような家族企業を育成することが、わが国の目標ではないからである。
では、ベンチャー企業とは、どのように定義されるのか。早稲田大学の松田修一教授によれば、下図のようにベンチャー組織は「営利型ベンチャー(企業、組織)」と「非営利型ベンチャー」に大別される。営利型ベンチャー組織には、独立型ベンチャー、個人形態、企業革新型ベンチャーの3種がある。企業革新型ベンチャーというのは、企業がすでに存在し、既存企業の革新を目的として新規事業に挑戦するときに、社内ベンチャーを設けたり、社外に別会社として社外ベンチャーを設立するものである。これに対して独立型ベンチャーは、文字通り独立企業で、株主が自ら経営する完全独立型ベンチャーとベンチャーキャピタルやエンジェルが出資する独立支援型ベンチャーの2つに分けられる。個人形態というのは企業形態をとらない小規模なものを指す。
一方、非営利型には法人形態と個人形態が存在するが、前者としてはNPO(Non Profit Organization)に代表されるような介護、医療、教育、環境等の分野で活躍する組織があり、後者としてはボランティア団体などがある。
図 ベンチャー組織の体系
非営利型ベンチャ
独立型ベンチャ
企業革新型ベンチャ
社内ベンチャー
社外ベンチャー
個人形態
営利型ベンチャ
完全独立型ベンチャー
独立支援型ベンチャー
ベンチャー組
出典)松田修一監修「ベンチャー企業の経営と支援」
ここでは、非営利組織は議論の対象とはしないことにする。それは、政府の政策目的から考えて必ずしも相応しくないからである。では、独立型ベンチャー企業および企業革新型ベンチャー企業とはなにか。それぞれの定義がどのようになっているか、松田教授の定義をみてみよう。
独立型ベンチャー企業とは:高い志と成功意欲の強いアントレプレナー(起業家)を中心とした、新規事業への挑戦を行う中小企業で、商品、サービス、あるいは経営システムに、イノベーションに基づく新規性があり、さらに社会性、独立性、普遍性を持った企業。
企業革新型ベンチャーとは:高い志と成功意欲の強いイントラプレナー(社内起業家)を中心とし、企業革新を目指して新規事業への挑戦を行う組織で、商品、サービス、あるいは経営システムに、イノベーションに基づく新規性があり、さらに社会性、独立性、普遍性を持った組織や企業。
以上から、現在わが国が求めるベンチャービジネス、ベンチャー企業というのは、個人の欲望を超えた高邁な志をもって天下国家のために活動するものであることが分かる。
4. ベンチャービジネスの創出からみた北見市の現況
今回、北見市のベンチャーとおぼしき企業10社のインタビュー調査を行った。このインタビュー調査から浮かび上がった北見市の現況をベンチャービジネスの創出という視点から概観する。
4.1 インタビュー調査対象のプロフィール
インタビュー先の企業をタイプ分けすると、創業者が経営している「創業者企業」と創業者の縁者が後継者となっている「後継者企業」になる。今回のインタビュー対象企業のうち前者に分類されるのは、A、B、C、Dの4社で、これらの企業の経営者達は一応、起業家に分類される。一応というのは、現業の社長が兼任という形を取っている場合もあって、典型的な創業者企業には分類しにくい場合もあるからである。見方を変えれば、現業における「企業革新型ベンチャー」ともいえる。
後者に分類されるのは、E、F、G、H、Iの5社である。このうちE、Fは完全な後継者企業で、先代の残した事業分野をそのまま継いでおり、起業とはまったく無縁である。それに対してG社は父親の残した事業を引き継ぎながらも、その後に事業内容を時代に趨勢に合わせて変更している。そしてH社は、事業内容を父親が決めたうえで2人の息子達を就職先から呼び戻して経営にあたらせるという変則的な後継者企業といえる。I社は、社長が叔父さんの死後、その事業を継ぐところから始まった。多角化を進め、現在では多くの異業種経営に携わっている。これらの経営者達は、自らの手腕で新たな事業へと転進してはいるが、あくまでも後継経営者であって、厳密な区分では起業家ではない。10社目は社団法人なので記述は除外した。
4.2 起業家の平均像
このように、インタビューした方々のうちビジネスを自ら立ち上げた経営者は半分以下ではあったが、そのことによって、かえって北見市の経済界の縮図を見渡すことになったのではないだろうか。わずか10社のインタビューだけなので、北見市の置かれた状況を間違いなく理解できたかと問われたら必ずしも自信はないが、そこから得られたものは、わが
国の地方都市の平均像であったようだ。
ここでいう平均像というのは、次のようなものである。北見市では、子弟それも優秀な子弟であれば東京など大都市の大学へ進学し、そのままそこで就職する。大半が、みな北見出身で都会に出て就職した経験をもつ。彼らと同じように都会生活あるいは大企業での生活を送った人々の多くは、おそらく北見市に帰ることはないのであろう。その結果として、北見市は人材不足に陥る。「優秀な男は都会に出て行く。女性は優秀でも北見に残る。そのため、北見市では優秀な女性と優秀でない男性が結婚することになるので離婚率が高くなる」という、まことしやかな話を聞かせてもらった。もちろん冗談であろうが、そのような傾向を完全に否定しきれないところがあるのかもしれない。
いったん大都市へ出て行った方々のうちの一部が北見に戻って事業を興したのであるが、そのきっかけは父親などの病気や死亡などで後継者として白羽の矢が立ったからである。父親から事業の跡を継ぐようにいわれて大企業を退職したG氏、父親の死をきっかけにG氏同様大企業を退職して新たに事業を立ち上げたA氏、やはり東京でシステムエンジニアをやっていたのを父親の病気を機に北見市に戻って事業を起こしたB氏、大手企業に勤務していたI氏は叔父さんの死亡を機に後継ぎとしてオホーツク圏に戻ってきたのである。H社のH兄弟の場合は父親の病気や死亡ではないが、父親が自らの新規事業実現のために息子2人を呼び戻したのである。それまで兄は旭川で建機のセールスマンを、弟は東京でシステムエンジニアをしていた。
4.3 新規参入を拒む土地柄
このようにみてくると、これらの企業家のほとんどが、自ら進んで北見市で事業を興した人達ではないことが分かる。その点で変り種なのは、C社の女性起業家である。彼女は、ご主人の転勤を機に北見に移り住み、この地が気に入り永住を決意して仕事を続けている。確かに、彼女の事業は必ずしも立地が北見市でなければならないという性格のものではない。この地が好きという理由がなければ、いつでも他の土地に移転しても事業に影響はない。
他の3社も必ずしも北見市内の仕事をやっているわけではなく、周辺地域や東京などからの仕事が事業の中心を占めている。そこにもまた、地方都市の一つの事情が隠されているように思われる。その一つは、地元に大きな需要がないということである。
北見市という土地柄は新規参入者を好まず、新規事業に対する妨害行為もないとは言えないと聞く。同業者の仕事を奪うからという理由では必ずしもない。出る杭は打たれると言うことなのであろう。尤も出過ぎた杭は打たれない。その点で、唯一妨害などにあったことがない、聞いたこともないというのはC社女性起業家だけであった。
あくまでも推測の域を出ないが、そこには既存産業と新規産業の戦いがあるようだ。この土地の有力な既存事業といえば公共事業に大きく依存する土建業である。一方、新規参入者はソフト系の事業が多い。前者が現在、公共事業投資の規模が縮小して厳しい状況にあ
るのに対して、後者は今後の成長が期待される産業である。後者の台頭によって、これまでの北見市の産業構造が転換され、公共事業依存型産業の存続を危うくするという危惧の念があるのかもしれない。
また、いわゆる地域の名士となるための権力闘争があることも想像に難くない。この土地の有力者である既存産業の経営者たちにとって新規参入者は、土地の名士の座を狙う有力候補である。そこで、このような状況を快く思わない人たちによる排除の力が働くのではないか。それでも何とか事業を軌道に乗せることができたのは、顧客が北見市以外にいるという目立たない事業形態の企業なのかもしれない。
北見出身者で都会から戻ってきて起業した人たちに対して冷たいにもかかわらず、よそ者のC氏にはあまり圧力がかからない。地域の既存産業に影響を与えない、名士としての地位を脅かす存在ではないと思われているのか、あるいは単に女性であるとの理由からだけなのか、そこは不明である。いずれにしても近年、新たに起業し成功している事業の大半が、顧客を他の地域に求めるという共通点があるのである。
4.4 北見市は特殊か
北見市の産業といえば薄荷と玉葱といわれる程度で、市の経済を支えてきたのは主に国からの公共事業であった。その公共事業も昨今の構造改革によって、今後の姿は不透明である。地元の人の多くは都会に出て行き、「人がいないから産業が育たない、産業がないから人が集まらない」という悪循環のスパイラルにはまり込んでしまっている。事業を興すのは主に、都会でビジネスに携わっていながら父親の病気や死亡を機に地元に戻った人たちである。しかし、その人たちも小資本でかつ地元の産業と競合しない事業でしか生きのびるチャンスが少ない。
このようにみてくると、北見市はベンチャービジネスに対する環境がまったく整っていないように思われる。新規事業の創出に努力を重ねてきたE社社長は、どのような見方をしているだろうか。彼は異業種交流によって新製品開発を行う組織の代表であり、この組織はこれまでにも幾つかの事業化を実現してきた。
そのE氏は、われわれのインタビューに答えて「北見市に新規産業を興すのに、いま不足しているのはヒトである」という。彼の立場からすれば、これまでも上記のような製品を生み出してきたし、そのための資金も自分達が十分手当てしてきている。あとは、事業化を強力に推し進める「ヒト」が不足しているというのである。ただうまくいっているといわれるものにしても、雇用の創造といった国の目標に結びつくような事業に育つ商品・事業だといえるのだろうか。これらが、北見市経済界のクラブ活動の域を脱していないように感じたのは筆者だけだろうか。
また新規事業立ち上げに対して、小額の出資ではリスクも少ないし、新しい波に乗り遅れまいとする人たちが、われ先に出資を申し入れても不思議ではない。だが、これが例えば一時のユニクロ(ファーストリテーリング社)のように急成長を遂げる企業で、そのスピ
ードにあわせた出資ということにでもなれば、地域内での資金調達はかなり困難であることは想像に難くない。結局、国が目指すベンチャービジネスの規模を考えれば、「ヒト・モノ・カネ」の全てが不足しているのではないだろうか。
しかし、以上述べてきたようなベンチャービジネスを興すにあたっての問題点、障害は北見市独特のものなのだろうか。わが国の地方都市が等しく抱えているのではないだろうか。この点を詳しく調査したわけではないが、だからこそ日本全体としてベンチャービジネスの創出に困難を極めており、その育成に躍起となっているのではないのか。
5.北見工業大学の役割
日本全体として新規事業を興す気運に欠けるという問題の根底には、これまでのわが国の金融、税制、一極集中型の社会構造、教育などの社会システム全体が関わっており、一朝一夕で解決するものではない。こういった状況のもとで、北見工業大学が北見市のベンチャービジネスの創出にどのような点で貢献できるかを考えてみたい。
貢献の第1が技術的な支援であることに異論はないであろう。具体的に、どのようにしてビジネスに結びつく技術を開発するか、ビジネスにまで結びつけるかといった点に関しては、素人である筆者は述べることを控えることにする。
貢献の2つ目は、大学という権威による支援である。出資者を募ることを考えると、その背景には、事業そのものや経営者、出資者の信用だけでなく、やはり大学が何らかの形で加わっているという権威が大きいように思われる。このような権威付けは、地方では特に重要と思われる。起業に権威付けすることは、リーズナブルな範囲で今後も続けることが望まれるが、ベンチャービジネスは、その多くが倒産するものであるという事実も肝に銘じておくべきで、大学が経営にタッチすることは避けるべきである。特に、技術者が経営にタッチしようとするのは無謀である。冒頭で新日本製鐵の例を挙げたが、ビジネスマンとして経営管理をしてきた人たちでさえ、業種業態が異なるだけで起業に失敗するというのが一般的な実態である。
3つ目の重要な役割は、士気の高揚である。ベンチャービジネスは倒産するものである。そこで失敗した者を社会の敗北者とする気風のなかでは、チャレンジャーは育たない。チャレンジする姿勢を賞賛する気風が世の中に育たない限り、チャレンジャーは輩出されない。信賞必罰であり経済的な負担は本人が負うにしても、名誉、名前といった何らかのリターンを用意する必要がある。その点で大学の果たす役割は小さくない。積極的にチャレンジした者の姿勢を称え、できれば一種の英雄を作り出すこと、それが大学にできる最大の貢献かもしれない。 完